毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「震災描写の薄さ」について。あなたはどのように観ましたか?
【前回】結(橋本環奈)と翔也(佐野勇斗)の結婚が描かれるも...視聴者が気になった意外なポイント
※本記事にはネタバレが含まれています。
「何年経っても忘れられない」「何年経ってもこの時期になると苦しくなる」そういった言葉がSNS上にあふれた1月17日。阪神淡路大震災から30年が経つ中、橋本環奈主演の朝ドラ『おむすび』第15週「これがうちの生きる道」では、阪神・淡路大震災に続いて東日本大震災が描かれた。
おそらく制作サイドはここに意義を感じたのだろうし、それなりに手応えも感じているのかもしれない。しかし、その扱い・表現の雑さが、むしろ被災者の感情を害するものになっていないかという不安がよぎる。
結(橋本)と翔也(佐野勇斗)は大阪のアパートで新婚生活を開始。そんな中、結が妊娠、腎盂腎炎・重症妊娠悪阻・切迫早産で入院することに。管理栄養士の西条(藤原紀香)から絶食するよう言われ、不安ながらも指示に従ったところ体調が改善する。
そこから月日が流れ、2011年3月、赤ちゃんを抱っこする結を商店街の人々が祝福する中、テレビで東日本大震災の発災が報じられる。歩(仲里依紗)は自身の被災の記憶がフラッシュバックし、呼吸が苦しくなり、愛子(麻生久美子)と聖人(北村有起哉)は歩を心配する。そんな中、ナベさん(緒方直人)は東北の被災地に靴を送る作業を進め、歩は手伝おうとするが、ギャルにしかできないことをしろと言われ、何ができるか考えた末、東北出身のギャル仲間に連絡、今必要なものを聞いて、チャンミカ(松井玲奈)とともに物資をかき集める。一方、結のもとには佳純(平祐奈)がやってきて、被災地に応援に行った際、専門学校時代に炊き出しした鯖ツナけんちん汁とわかめおにぎりを被災者にふるまったと語り、結に感謝する。
2017年1月17日、結は両親や商店街の面々と、歩はナベさんと共に真紀の墓前で、それぞれ17年前の阪神・淡路大震災の犠牲を追悼し、黙とうし、これからの世代にも伝えていかなければいけない思いを新たにする。
ざっくりしたあらすじは以上だが、今週は本来重要な展開だけに、いつもながらの雑さが笑えない状況だった。
また、結が栄養士から管理栄養士を目指すことになる次のフェーズを描くための「キーパーソン」として兵庫出身の藤原紀香を起用。これは明らかに話題性狙い+ご当地枠だが、加えて男性の作り手が仕事をしてみたかった人なのだろうかという邪推も働く。朝ドラでは結構よくあるパターンだ。
また、この西条の関わりがかなり謎だ。管理栄養士が患者一人一人を訪ねる病院などあるのだろうか。ドラマ内ではエクスキューズとして西条が私はそうしたいと、あくまで自分のスタイルであることを語っていたが。
また、妊娠のリスクを描く一方、出産シーンを描かないことで「出産=感動」として美化しない、出産を特別視しないというスタンスは『虎に翼』や『燕は戻ってこない』などが好例だったように、近年の価値観を踏襲。それ自体は良いことだが、大仰にテロップをつけて説明する演出は軽薄すぎやしないか。
何より気になるのは震災描写。「ギャル」と「栄養士」を描くとしつつも、それは表層のテーマで、本丸には震災を描く意図があろうことは多くの視聴者が初期段階で気づいたはずだ。そして、平成=災害の歴史として、東日本大震災も描かれるであろうことも想像がついたし、そのわりに福岡の地震は描かなかったこと(制作統括はインタビューで、描かない選択をしたがもちろんなかったことにしたわけではないと説明)は不思議だし、なんなら能登半島地震も描くつもりかもしれないことに不安を感じている。
なぜなら、"緻密な取材"をしたはずの震災描写がなんとも薄いからだ。阪神淡路大震災に続いて、今回もまた「冷たいおむすび」「レンジでチンして」をこすっているし、被災地の状況はセリフでさらりと語られる程度。それも、育児中の結が佳純からの報告を受け、炊き出し経験が役立ったことで感謝されるという、「なんでもかんでもヒロインのおかげ」という朝ドラの呪いに回収されていく。ちなみに、育休中の結の代わりの臨時職員も結の作った献立に感謝させられていた。
ヒロインの俳優が多忙すぎるためか、この作品は時間経過の描写が実にざっくりで、描くべき項目を箇条書きにしてタスクとしてこなしているように見え、総じて画が貧しく、動きが少なく、にもかかわらず真ん中に鎮座したヒロインを周囲が礼賛しなければいけない構成になっている。従来の朝ドラの悪いところを煮詰めたようだ。
それでもたくさん取材をした、震災を描くと言われると、その意義を感じなければいけない、批判してはいけない、好意的に見ないといけないという圧にずっと苦しめられている。実際、描写があまりに薄いために、どうしても「災害」を単なるフックにしている、ネタとして消費しているように見えてしまうのだ。
朝ドラは半年分の膨大な物理量を埋めなければいけないため、どの時期に何が起こるのか年表をざっくり作り、進めていくパターンが多いが、「阪神淡路大震災は序盤で書いちゃおう」「それで阪神淡路大震災のタイミングに東日本大震災を重ねちゃったら?」みたいな安直な構成が選ばれていやしなかったか。
今回、かなり厳しめの内容となって恐縮だが、この作品、特に第15週を観て傷つく被災者があまりいないことを切に願う。
文/田幸和歌子