何歳になっても持ち続けたい「生きがい」はありますか? 年金3万円、数々の病に見舞われて、一日のほとんどをベッドで過ごしていた84歳のG3(じーさん)は、ミシンと出会って生活が激変! SNSで手作りのがま口バッグが話題になり注文が殺到するまでになりました。妻のB3(ばーさん)や、娘、孫たちと明るく前向きに生きるG3の日々を綴ったエッセイ『あちこちガタが来てるけど 心は元気! 80代で見つけた 生きる幸せ』(KADOKAWA)より、人生後半の生き方のヒントをお届けします。
※本記事はG3sewing著の書籍『あちこちガタが来てるけど 心は元気! 80代で見つけた 生きる幸せ』から一部抜粋・編集しました。
【前回】寝たきりだった84歳の父と、80歳の母、50歳の娘がソーイングチーム結成!?
82歳で初めてミシンに触り、あっという間に生きがいに。
眠っていた職人魂がよみがえりました。病気は治りませんが、心は元気に。
G3sewing(じーさんソーイング)は、84歳の父(じーさん=G3)、80歳の母(ばーさん=B3)、50歳の三女の私(=kiki)の3人でやっています。
父ががま口バッグなどの商品を作っている工場長、母が検品と包装をしている専務、私が全体のマネジメントをしている社長です。
マネジメントといえばかっこいいですが、三重県四日市市の平屋の一軒家でやっている、ソーイングチームのなんでも屋です。
本当の会社ではなく、役割分担です。
じーさんである父が作っているので、英語っぽくG3(=じーさん)sewing(=裁縫)というチーム名にしました。
父(=G3)は、最初は「バカにされとる」と笑っていましたが、周りの方々に褒めてもらい、今はこの名前が気に入っているようです。
G3は、現役時代、電気工事士の資格を持ち、主にテレビ・ラジオなど電化製品の修理の仕事をしていました。
手先が器用で、職人としての腕は確かでしたが、曲がったことが嫌いな頑固者。
短気で人づき合いが苦手です。
いいときもありましたが、すぐにカーッとなる性格のため、けんかが絶えず仕事が続きません。
だから、私たち家族は、いつも貧乏暮らしでした。
そして、68歳からは病気のオンパレード。
大腸憩室(けいしつ)症で大腸を半分摘出し、大動脈解離で生死をさまよい、手術や入院を繰り返しました。
その後、痛風、糖尿病、そして、病気が原因で鬱病にもなりました。
落ち込むと、「死にたい。生きていても意味がない。みんなに迷惑かけとるだけや」と言い、家出や自殺未遂をしたこともありました。
精神的にも不安定で、プロ野球の試合で巨人が負けたというような些細なことで怒り出すので、家族にとっては迷惑な存在でした。
子どもは、長女、次女、私、弟と4人いますが、みんなで「今すぐ死んでくれてもいい」と本気で言っていたほどでした。
老夫婦2人では暮らせないと、長女が両親と暮らす家を建ててくれ、今はその家で、両親、姉の3人で暮らしています。
私はG3と話したくなくて、両親の家に寄りつきませんでした。
子ども4人の中で、一番の薄情者でした。
ごくたまに、様子を見に行くと、G3はいつもパジャマ姿で、一日のほとんどをベッドで寝て過ごしているよう。
面倒な存在ですが、やはり心配ではあります。
どうにかベッドから起きて、楽しいことを見つけて欲しいなと思っていました。
2019年のある日、私はG3に壊れたミシンの修理をお願いしました。
表向きは修理の依頼ですが、本当はミシンを修理することで、長年培ってきた職人としての魂がよみがえり、少しでも元気になってくれれば、そんな気持ちでした。
G3はベッドから起き上がり、あっという間にミシンを修理。
ちゃんと動くかを確認するために、私が上糸と下糸のかけ方を教え、実際にG3に縫ってもらいました。
すると、瞬く間に布を縫いあげるミシンに感心し、興味を持った様子。
G3がミシンを使うのは、このときが初めてでした。
気持ちが明るくなるきっかけになったらと考え、しばらく、ミシンをG3の元に置いておくことにしました。
「何か縫いたいなあ」とG3が言うので、私が以前に母(=B3)に作った聖書カバーを見せ、「これやったら、簡単だから作れるんとちゃう?」と助言。
電気工事士だったからか、すぐに聖書カバーを分解して、仕組みをチェック。
私があげた端切れを使って、自分の力で聖書カバーを完成させました。
そして、「楽しいなあ。もっと作りたいな」と言うので、私の家族4人分の聖書カバーを作ってもらうことにしました。
3日後、連絡があったので見に行くと、なんと、18枚も聖書カバーを作っていました。
「こんなに作ってどうするの?」
びっくりした私から出た言葉でした。
「私の大切な布を、勝手にこんなにたくさんの聖書カバーにして!」と、怒りに近い感情が湧いてきました。
でも、一方で、今まで寝たきりだったG3に、「こんな力が残っていたなんて!」とびっくりし、「好きなことは、人をこんなに元気にするのか」と、改めて思った瞬間でもありました。