1983年のデビュー以来、45枚のシングル、18枚のオリジナルアルバムを発表し、ヒット曲を多数生み出した大江千里。今、彼はジャズピアニストに転向し、NYで活躍しています。
2008年単身NYの音楽大学に留学し、47歳で卒業、そして52歳にしてNYで会社を設立。アーティスト活動をしながら社長業、営業宣伝、交渉契約までをたったひとりで行う、大江千里の50代からのリスタートを、書籍『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』でたどっていきましょう。
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ジャズのMaiden Voyage(処女航海)を始めた僕の船は、その後目的の港に着けたのかと聞かれると即座に答えが出ない。
日々、波に揺られながら、自分の目指す陸になかなか辿り着けないような気もする。しかし、それなりに目の前の小さな目標をクリアし続けてはいる。
不安な日々の中での迫り来る選択肢の数々。思い切って一つの道を選択すると、その先にはそれなりの答えがあるものの、遠回りをしているようにも思える。
たとえば、あの頃のように上昇気流に乗れていない自分が、平行棒の上をずっと同じ速度でよちよち歩きをしているように感じるときがある。学校というシステムの中にいると、自分という実力を把握しやすい定規がある。
対象物だ。
だから比べることによって自分がどれだけ成長したかがよくわかる。
卒業して自分でレーベルを始め、CEO(Chief Executive Officer)も自分、演奏者も自分、スケジュール管理も自分、というオールインワンの「メビウスの輪」状態。自分しか頼るものはないという焦燥感。比較する対象物のない孤独感。一旦それを悩み始めると、一生ここから抜け出せないのではないだろうかとさえ思う。
人生は充実感よりはむしろ不安のほうが多く用意されていて、それをどれだけプラスに変換できるかで光の分量は大きく変わってくるのだなと思うようになった。
入学前に何十年もプロの世界で生きてきたくせに、アメリカで起業し演奏し、その中で生きのびていく大変さは、全く別物だと知る。
ここには人種差別がある。マイノリティというID。
そこから始まり加えて言語。ゼロからのスタートではなく、マイナスが伴う始まりから抜け出すために、毎日語彙を増やしビジネスのスケールを覚えなければやっていけない。
ずいぶんその社会のヒエラルキーに慣れたとはいえ、東洋人にイタリアオペラの役が回ってこないのと同じように、音楽ビジネスにも目に見えない壁がある。それが悔しいなと正直思う。ただ、だからこそ、その悔しさをバネにして、あきらめず頑張る意味がある。影と対をなす日向に光が射し込むと、その喜びはことさらに大きいのだから。
9番目の音のずっとずっとその先には、いったい何が待っているのだろう。
まだその渦中に足を踏み入れたばかりだが、未来に耳を傾けると、以前は聞こえなかった音や響きがリアルに頭蓋骨に反響しているのがわかる。
まだそれを頼りに進める?
どうする?
僕は今日も自問自答しながらひとりビジネスをやっている。
まだ月が光る暗闇の夜明けにそっとオールを漕ぎ始める。