10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断された岩野響さん。中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学しない道を選んだ15歳の「生きる道探し」とは?
著書『15歳のコーヒー屋さん』を通じて、今話題のコーヒー焙煎士・岩野響さんの言葉に耳を傾けてみましょう。
今回は岩野響さんの父親、開人さん(写真右)が響さんの幼少期について語ります。
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前の記事「「人間が人間を育てるなんておこがましい」ー母親が語る幼少期/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(10)」はこちら。
違和感はあるものの、確信が持てない
幼少期の響のようすを見て、ぼくは久美子に「ちょっと、おかしいんじゃないか?」と言い続けていました。久美子は「おかしくない」と言うけど、明らかに同世代の子と比べて違和感があり、では男親として、何をしていけばいいのか悩みました。
響がぜんぜん寝てくれないのも大変でしたが、一般的に、子どもが喜びそうなものには目もくれず、変なものをコレクションしているし、水族館に連れていっても、きれいな魚にはまったく興味を示さず、水槽の縁のゴムをずっと触っていたりして、なんか変だな、おかしいな、と感じていました。
とはいえ、「変だよ」と言い切れなかったのは、ぼくが会社勤めをしていたからです。一日中、響と一緒にいるわけじゃない、一部分を見て断言するのは気がひけました。その頃、ぼくたち夫婦は発達障害について何の知識もなかったし、久美子に「子どもってこんなもんだから。何度も同じテレビを見る子や、お気に入りの絵本ばっかり読む子、電車の図鑑ばかり見ている子もいるじゃない」と言われると、そんなものなのかなと思っていました。
ぼくらはまだ若かったので、同年代に子どもがいる友達もいなくて、周囲にあまり相談ができなかったというのもあります。しかし、ぼくらは親子だから許すし、響のことはとても可愛いと思うけれど、このままだと社会には通用しないと考えていました。
男親として、子どもを世に出す責任感のようなものも強く感じていました。
久美子は、響が「おはよう」と挨拶ができるようにとか、字が書けるようにとか、あの手この手で響が理解できる伝え方、伝わり方を模索していました。
その努力はよく知っていました。わかってはいたものの、ことあるごとに「おかしい」と言ってしまい、久美子にしてみれば、自分の育て方を否定されているようでつらかったのだと思います。だから、「早生まれだから」「ひーくんはひーくんだから」みたいなことを言っていました。
ただ当時は発達障害だから、という選択肢がなかったので、ぼくは「響のようすはおかしいよ」と言い続けるしかなかったですし、「その考え方だからいけない」「それは違う」と、互いに責め合うことも多かったです。
それでも響のことを考えて、響のためと思って、ふたりでよく話をしました。
弟のほうができることが多い!?と気づく
響には5歳下と7歳下の弟がいます。
弟が育ってくればくるほど、ぼくたちは戸惑いました。響よりも弟のほうができることが多くなってきたのです。
3人目が生まれて1~2か月の頃、久美子が過労で倒れたことがありました。赤ちゃんの育児は睡眠不足になって大変なうえに、響のことで精神的に参っていた頃でした。
このとき響は7歳くらい。次男はまだ2歳でした。三男は生まれたてでギャーギャー泣いているだけ。ぼくは勤めに出ていて留守でした。
久美子は倒れて動けない。すると、2歳の次男が何かを察して、ティッシュを山盛りに運んできて、それから携帯をそばまで持ってきたそうです。それで、近所に住んでいる母に連絡がとれ、すぐに飛んできて救急車を呼んでくれました。
ぼくは父から連絡をもらい、慌てて家に帰りました。久美子が倒れているところには、次男とワーワー泣いている赤ん坊の三男。響は2階で遊んでいました。
そこへ救急車の人たちがやってきました。すると、響が「何だ、何だ」と下りてきて、担架で運ばれる久美子のことを見て、「ワハハハ」と大笑いして喜んだのです。
響にしてみれば、人が集まってきて、パパも帰ってきて、何だか楽しいイベントが始まったとでも思ったのでしょう。
久美子はその一部始終を聞いても、「私が育て方を間違えちゃった」「人の痛みもわからない子に育ってしまった」と自分を責めていましたが、そのときはさすがに「やっぱり変だ」と思わざるを得ませんでした。
とはいえ、そういうぼくも、響を専門家に診てもらうのはちょっと怖いと思っていました。「お父さん、もっとしっかり響くんのことを見てやってください」と責められるんじゃないか......と心配だったのです。
ちょうどその頃、ぼくらは自分たちで染色した生地で手作りの服を販売する仕事を始めたばかりでした。
会社勤めもせず、作家業みたいなあいまいな職業ということで、「ご両親がそんな仕事をしているから......」というような色眼鏡で見られることもありました。「ぼくらはそういう常識に縛られずに生きているんだ!」と、反抗的な気持ちもありました。
それもいま思えば、自分たちのエゴなのですが、そんな迷いもあり、なかなか専門家の扉を叩くことができなかったのです。
撮影/木村直軌
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岩野 響(いわの・ひびき)
2002年生まれ。群馬県桐生市在住。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断される。中学生で学校に行けなくなったのをきっかけに、あえて高校に進学しない道を選び、料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求していく。2017年4月、自宅敷地内に「HORIZON LABO」をオープン。幼い頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行ったところ、そのコーヒーの味わいや生き方が全国で話題となる(現在、直販は休止)。
『15歳のコーヒー屋さん』
(岩野 響/KADOKAWA)現在、15歳のコーヒー焙煎士として、メディアで注目されている岩野響さん。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断され、中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学せずコーヒー焙煎士の道を選びました。ご両親のインタビューとともに、精神科医・星野仁彦先生の解説も掲載。