誰かの言葉にすぐ反応。SNS、ツイッター、ネット記事に常に反応......毎日、ムダな「反応」をしていませんか? すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。
本書『反応しない練習』で、ブッダの超・合理的な考え方を学び、あなたも"反応しない練習"を始めてみましょう。
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前の記事「自分の心を観察するだけでモヤモヤは晴れる/反応しない練習(13)」はこちら。
"ブッダ"とは、「正しい理解をきわめた人」という意味です。「目覚めた人」「覚者(かくしゃ)」とも呼ばれています。
ここは仏教に興味がない人にも大切なポイントになるのでお伝えしておきますが、「正しい理解」とは、「自分が正しいと考える」ことではありません。「自分流の見方・考え方で理解する」ことではありません。
むしろ逆に、「自分はこう考える」という判断や、解釈や、ものの見方をいっさい差し引いて、「ある」ものを「ある」とだけ、ありのままに、客観的に、主観抜きの"ニュートラル"な目で、物事を見すえることを意味しています。
「正しい理解」に「反応」はありません。ただ見ているだけです。動揺しない。何も考えない。じっと見つめているだけです。そういう徹底したクリアな心で、自分を、相手を、世界を理解することを、「正しい理解」と表現しています。
正しい理解こそが苦しみを超える道である
――わかる気がしませんか。
正しい理解をきわめた人であるブッダが到達した境地のことを"解脱(げだつ)"と呼ぶことがあります。「解脱」(パーリ語でvimutti(ヴィムッティ)、英語ではemancipation)とは、「自由」「解放」という意味です。
ということは、仏教=ブッダの教えとは、「正しい理解によって、人間の苦悩から自由になる方法」のことだといえるのです。
これは宗教ではありません。本書が「ブッダの合理的な考え方」と呼ぶことには、明白な理由があるのです。「正しい理解」によって、人は自由な心を取り戻せます。ぜひ実践して、満たされなさを解消して、人生にもう一度、「これでよし」と思える生き方を取り戻そうではありませんか。
人は"求める心"によって、苦悩を見る。ゆえに汝(なんじ)は、"求める心"を、正しい道(方法)に立つことで手放せ。そして再び"求める心"に執(とら)われて、苦しみの人生に舞い戻らないようにせよ。――スッタニパータ〈彼岸への道〉の章
僧侶、興道の里代表。1969年、奈良県生まれ。中学中退後、16歳で家出・上京。放浪ののち、大検(高認)を経て東大法学部卒業。現在、インドで仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般にわたって伝える活動をしている。著書に『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』(WAVE出版)、『独学でも東大に行けた超合理的勉強法』(サンマーク出版)、『消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』(大和出版)がある。
(草薙龍瞬/ KADOKAWA)
すべての「苦しみ」は、自分が「反応する」ことから始まっています。それを理解することが、悩みを解決する第一歩です。その事実と、具体的な方法論を教えてくれるのは、2500年前の悟った人、ブッダ(原始仏教)。本書では、原始仏典を紐解きながら、現代人の人生に活かせる合理的な考え方を紹介します。