相続という出来事は、人が亡くなってから、その人が持っていた財産を相続人等に引き継ぐまで続きますので、比較的長期間になります。毎年たくさんの方々の相続をお手伝いしていると、相続が完了するまでの間に不思議な出来事に遭遇することがあります。どうやら相続という現象には人を変えてしまう不思議な力があるようです。
そんな相続の現場で起きていること、考えなければならないことを、相続、遺言、家族信託支援を専門にする司法書士・青木郷が、実際に事務所で経験した事例も交えながら、全13回にわたって解説していきます。
第4回目の今回は、「相続の世界に棲む魔物」についてご紹介します。
第3回目の記事はこちら→「家庭裁判所に持ち込まれる相続問題は遺産総額5000万円以下が7割」
面倒見のいい長男、絵に描いたような幸せな家庭が...?
とある一家の相続には「魔物」が顔を出しました。
亡くなられたのはお母様、相続人となる方は父、長男、二男、長女の四人。長男はとても温厚で、両親のことをいつも心配し、よく顔を出していました。また経済的な支援も惜しまず、両親からはとても頼りにされていました。
弟妹、その家族とも関係は良好で、家族同士でよく交流をしていました。家庭でも、妻にも子供たちにも優しく、会社でも非常に頼れる上司として活躍をしていました。お母様が亡くなられた直後も残された父、弟妹たちを取りまとめ、一生懸命でした。
母の死とともに長男が豹変! 激しい相続争いが勃発
しかし、亡くなられたお母様の相続財産の把握が終わり、どのように分配をするかを決める段階になったときから、長男が豹変します。
家族全員の取りまとめをすることはなくなり、書面で自分の要求を一方的に伝えるようになりました。弟妹から話し合いの席に戻ってもらうよう伝えても全く反応をしなくなり、弟妹たちが知らない間に、残された父親を施設に入れる算段を整え始めました。父親を施設に連れて入所契約を行い、後々自宅を売却する目的で誰もいない状態にしようとしており、そのことを弟や妹が知ったため、遺産分割協議は大混乱となってしまいました。
大きな声で父親、弟、妹を罵り、震え上がる父親に「施設に入りたいといったのは自分ですよね!?」と詰め寄り、一方的にまとめてきた遺産分割協議の内容に反対する妹の首を締め上げ、周りが必死に引き離すという、まさに修羅場のような遺産分割協議となりました。
司法書士としては誰かの代わりに交渉や説得を行うことはできませんので、相続人同士がお互いに抱えている不満や勘違いしている部分を洗い出すため、とにかく全員から話を聞きながら、聞き取った内容を他の相続人に伝えていきました。
しかしその後、長男は全く話し合いに応じなくなったため、弟と妹は弁護士に依頼。それを受けて長男も弁護士に依頼をしました。そして家庭裁判所での調停、審判へと進んでいきました。この時点で完全な紛争に発展してしまったため、司法書士としてはできることがなくなってしまいました。
その後、家庭裁判所の審判により財産の分け方は決まりましたが、手続きがすべて終了した時、この家族の関係も完全に崩壊しました。そこにはお母様の生前まであった温かい家族としての形は跡形も残っていませんでした。
長男が豹変した理由は「不公平感」と「不信感」
この長男が豹変した理由は、母親が生きている間からずっと蓄積されてきた周囲に対する不公平感でした。
なぜ自分だけが両親や弟妹、はてはその家族のことを気にかけ続けなければならないのか、なぜ弟や妹は協力しようとしないのか、なぜ母親も父親も自分に感謝さえしてくれないのか、当たり前のように善意や経済的な支援を受け続けているのか。これまで自分は本当に大変だった。この相続で今まで大変だった分を清算させてもらう。
このような思いからでした。
この長男の不公平感を周りが理解していたら、お母様の生前から情報共有していたら、家族の崩壊は防げたのではないかと今でも思っています。
長年にわたって蓄積された不公平感、不信感は、相続という出来事をきっかけにして、人を完全に豹変させてしまう「魔物」へと変わります。残される者がこの「魔物」に苦しめられないようにするためにはどうしたらいいのか。それは財産や想いを残す側(親世代)と残される側(子供世代)の、深いコミュニケーションによって、極力精神的にフラットな状態を作っておくことです。
親の介護が兄弟姉妹の誰かに偏っているのであれば、介護の状況(身体的、精神的、経済的な大変さすべて)を共有するようにしましょう。一部の子供に多くの財産を残したい場合、どうしてそうしたいのか、他の子供たちにもわかるように説明してあげましょう。そして、何よりこうした介護や相続という「話しにくい話題」をみんなで話せるような環境を作りましょう。
この状態がないのに、どんなに法律上、税務上素晴らしい仕組みを構築したとしても子供同士が疑心暗鬼になるきっかけを与えるだけで根本的な紛争回避にはならない可能性があります。親が亡くなってしまってからでは、このようなコミュニケーションをとる環境を作ることはできなくなりますので、早めに始めることを考えてみてはいかがでしょうか。
青木郷(あおき・ごう)
司法書士・行政書士・家族信託専門士・家族信託コーディネーター。開業当初より、相続、遺言、家族信託に特化した業務展開を行ってきており家族信託組成支援を含む相続・承継の支援を行った家族は300世帯を超える。複雑で難解な相続手続きを明快に整理したうえで支援、またそのご家族に合った相続・承継対策を一緒に作り上げている。遺言書作成や家族信託組成支援については、お客様の希望や想いを丁寧にヒアリングしたうえで、税理士、不動産コンサルタント等と連携して支援を行っている。共著に『ファイナンシャルプランナーのための相続⼊⾨』(近代セールス社)、執筆・監修に『わかさ11⽉号 保存版別冊付録【⽼い⽀度⼿帳】』(わかさ出版)がある。