「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」、ぜひお楽しみください。
奇門遁甲、ふたたび
どうにかこの苦境を乗り越えなくちゃならない。
そうだ、また杭を打とう!
また奇門遁甲(きもんとんこう)をやろう。
ほぼ1年前、僕は古代中国から伝わった"運気"を上げる方位学の占術「奇門遁甲」をやった。
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ある特定の方位に、木の杭を地面に打つのだ。
杭打ちのときに、レンタカーを借りた。
その後、標準治療を断り、代替医療のクリニックを探していたとき、妻が図書館から借りた書籍が目についた。
早速そのクリニックを調べると、なんとそのレンタカー屋さんの隣のビルだった。
「これは、ここへ行けということに違いない」
僕はこのクリニックに通うことに決めた。
そして、だんだんと具合が悪くなってきたとき、このクリニックのドクターが東大病院への紹介状を書いてくれた。
そして入院した東大病院の検査で僕の遺伝子ALKが見つかって、ALK用の薬であるアレセンサを服用することになった。
そして、今の僕がいる。
少し強引かもしれないが、奇門遁甲ががんの消去という状況を連れてきたと言えない事もない。
今のこのピンチを、ある意味絶体絶命のこのピンチを、また杭打ちで切り抜けるんだ。
目指せ、一発逆転!
それから数日後、ほぼ1年ぶりに表参道のトキさんを訪ねた。
「おお~、良かったですね~、がんがほとんど消えたんですってね」
トキさんは、嬉しそうに僕を出迎えてくれた。
「ありがとうございます。奇門遁甲がここにつながったと言えなくもないです」
僕は東大病院につながったいきさつを話した。
「なるほどね~。いや、僕もね、正直どうなるかと思ってたんだけど、そういう効き方もあるんだね。いや~良かった、良かった、本当に良かった」
「で、実は、またやりたいんです。奇門遁甲」
「ほう、と言いますと?」
僕は会社を辞めることになりそうだと、一連の経緯を話した。
「そうですか、それはまた大変な事になりましたね。それじゃ、やりましょう。おそらく病気のときよりも、仕事の方が効き目は分かりやすいと思いますよ」
トキさんはそう言うと、資料と地図を引っぱり出して、何やら調べ始めた。
「奇門遁甲と言っても、やたらに杭を打てばいいってもんじゃないんですよ。時期と方位によっていろいろな意味があるんです」
「意味ですか?」
「はい。昨年刀根さんがやったのは地遁と言って、周囲の情勢が自分にとって非常に都合のいいことになって、結果として願いが叶うというものです。直接病気を治すというような効果は、奇門遁甲にはありませんので、地遁を使ったのです」
「そうだったんですか」
前にも聞いたかもしれないけれど、改めてそのとおりになっている現状を振り返って、僕はその効果を実感した。
「今回のケースで考えると、これがいいでしょう」
トキさんが指した指先には甲甲と書いてあった。
「甲甲?」
「はい。甲甲の効果は正直・威厳というものを維持しつつ、富貴栄華を得るというものです」
「富貴栄華ですか、いいですね」
「時期は...あ、今月しかありませんね。方角は南西です」
「南西ですか...というと、山梨とか、静岡とかそっち方面ですね」
「そうですね。前回もそうでしたが、遠ければ遠いほどいいです」
「分かりました。考えてみます。ありがとうございます」
そうか、今月、南西か。
なんだか面白くなってきたな~。
しかし、まさかまた杭打ちに行く状況が来るとは思わなかったな。
それから数日後の12月下旬、静岡の祖父母のお墓に、妻と二人でお墓参りに行った。
がんが良くなったことの報告をすることと、ついでに奇門遁甲のくい打ちを実行することが目的だった。
早朝、車で家を出た。
僕は目がまだ良く見えないので、妻が運転をした。
遠出になれていない妻のために、車には初心者マークを貼り付けた。
「免許とって20年くらい経つんだけど、初心者マークよ」
妻が嬉しそうに言った。
「まあ、その方が安心だしね」
「高速なんて乗ったことないから怖いよ~」
「大丈夫。遅いトラックの後ろにくっついて行こう。ちょっと車間を空けてれば大丈夫だから」
ゆっくり走るトラックの後ろにくっついて首都高を走り、新東名に入った。
晴れ渡った高速道路は、気持ちよく流れていた。
僕たちはゆっくりと静岡に向かった。
途中のサービスエリアでお菓子を食べたり、コーヒーを飲んだ。
それがまた、とても楽しい。
二人のドライブは本当に幸せだった。
こんなの、何年ぶりだろう。
静岡に着いたのは暗くなってからだった。
奇門遁甲の場所を探し、地図で調べておいた付近を車で徘徊すると、よさそうな茂みを発見した。
ここにしよう。
トントントン...。
用意していた金づちで、木の杭を打ち込む。
よし、これでくい打ちミッションは完了だ。
僕たちはそのまま予約していたホテルに入った。
翌日、祖父母のお墓に行った。
前回行ったのはもう10年くらい前だろうか、僕は場所を思い出しながら墓地の中を歩いた。
あ、これかな?
そのお墓には母に聞いていた目印がちゃんと刻まれていた。
僕は妻と二人手を合わせた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、守ってくれてありがとう。こうして生きて戻ってくることが出来ました。これからもいろいろ難題が待っていそうですけど、どうか見守ってください」
帰りの高速で車を走らせているときだった、僕の携帯がメールを受信した。
誰かな?
開いてみると、出版社に勤めている知人からだった。
さかのぼること約2か月前の10月中旬、僕はとあるセミナーに参加した。
そのセミナーで出版社の人と知り合いになり、時々ご飯を食べたりしていた。
メールはその人からだった。
「おはようございます。本を出しましょう」
おお、来た!
なんと、出版が来た!
僕は興奮気味に、運転している妻に言った。
「ほら、出版の話が来たよ、やった!」
「この人、出版関係の人なの?」
「うん、そう」
「わあ~、すごいね!」
「奇門遁甲、すげ~っ。一昨日の夜に杭を打って、今朝だよ!」
こうして僕は本を書くことになった。
順番は前後したけれど、さおりちゃんと立てた目標の6番目をクリアした。
奇門遁甲って、やっぱりすごいのかもしれない。
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50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。