「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」、ぜひお楽しみください。
生きるって、なんて素晴らしいんだろう
12月31日。
怒涛のようだった2017年が終わっていく。
1年前の僕はどんどん具合が悪くなる中、ポジティブを保とうと必死だった。
声が枯れてほとんどでなくなったのも、1年前の年末あたりだった。
胸の中はずきずき、チクチクと痛み出して、痰に血が混じり始めたのもこのころだった。
あれから1年...僕はこうして生きている。
なんて素晴らしいんだろう。
朝起きるとき。
ああ、今日もこうして無事に目が覚めることが出来た。
ありがとうございます。
夜寝るとき。
今日もこうして無事、いのちを失うことなく1日という時間を過ごすことが出来ました。
本当にありがとうございます。
誰へともなく、感謝の言葉が湧いて来るのだった。
しかし...本当に濃い1年だった。
肺がんで死にそうになり、生還したかと思ったら、会社から戦力外通告。
人生を変える3つの出来事、という話がある。
その3つとは、大病、倒産、投獄。
僕は倒産じゃないけれど、事実上のクビ宣告だから同じようなものだろう。
1年の間に3つのうちの大病と倒産の2つを経験したというわけだ。
最後の投獄だけは勘弁してほしいよ、魂くん。
年末の晩は、我が家で恒例になっていたボクシングの世界タイトルマッチを観た。
トレーナとして試合で対戦したり、一緒に練習したことのある選手やトレーナーたちが、テレビ画面の中で活躍していた。
僕も、あの世界の端っこにいたんだなぁ。
彼らが、まるで別世界の人たちに見えた。
そして朝が来た。
2018年1月1日。
「あけましておめでとうございます」
家族で元旦の挨拶をする。
僕と妻、長男、次男の4人家族。
家族みんなのサポートがなかったら、僕はここにいなかっただろう。
翌日の1月2日。
僕たちは帰省した。
「本当はね、今年の冬は越えられないと思っていたの」
母はそう言って、また目頭を押さえた。
すっかり涙もろくなったみたいだった。
「ほら見て、髪の毛が結構生えてきたよ」
僕は帽子をとってフワフワと生えてきた髪の毛を見せた。
「ほんとね。でもなんか一瞬、カツラかと思ったわ」
母が笑った。
「声も随分出るようになったんだ」
「本当に良かったね」
姉や甥っ子たちもみんな喜んでくれた。
「最新医療はすごい。東大病院は素晴らしい」
父も相変わらず現代医療をほめちぎっていた。
僕は喜ぶ父が微笑ましかった。
もう父が何を言っても昔みたいに腹が立つことはなかった。
父の本当の気持ちが分かっていたから。
その後、みんなでお墓参りに行った。
晴れ渡った天気のもと、お墓の前でみんなで般若心経を読み上げた。
みんなが読み上げる般若心経を聞きながら、ふと想いが湧いてきた。
今、こうして生きている。
僕はこの瞬間を迎えられなかった可能性もあった。
いや、その可能性の方が大きかった。
なんて素晴らしいんだろう、生きてるって、なんて素晴らしいんだろう。
【次のエピソード】なぜこんなことに...。僕が追い込まれた、惨めな「がん離職」/続・僕は、死なない。(16)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。