「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった本連載を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「皆さんにご報告があります」ステージ4の肺がんを公表した僕への...予想外の反応
翌日、2017年6月9日。
僕は中野の健保協会で『限度額適用認定証』の申請を終えると、中野駅改札でフジコさんと待ち合わせた。
24年前、自己啓発系のセミナーで知り合ったときの彼女は、全身黒ずくめの衣装を身にまとい、鋭い眼光と本質を突く言葉で、皆に恐れられている存在だった。
その後、彼女が結婚してから一度会ったきり、フェイスブックだけのつながりになっていた。
「刀根くーん!」
手を振りながら歩いてきた彼女は20数年前とは全く違っていた。
以前のカミソリのような鋭さはなく、洋服も白とピンクを基調とした温かくて柔らかなものになっていた。
喫茶店に入るとフジコさんは言った。
「刀根君の記事読んで、これは私だと思ったの」
そして僕の目をじっと見て言った。
「あなたは、私なの......」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の奥から熱いものがせり上がってきて、涙がどっとあふれ出した。
「泣きたかったんだね」
彼女は慈母のような眼差しで言った。
決壊したダムのように涙がとめどなくあふれ出していた。
まるで迷子の子どもが母親に抱かれ、安心して流す涙のようだった。
僕は泣いた。
人目もはばからず、しゃくりあげ、とことん、泣いた。
少し落ち着いた頃を見計らって、フジコさんは言った。
「どういうことが起こってるか、わかる?」
どういうことって、がんのステージ4ってことで......。
「いや、よくわからないけど......」
フジコさんは僕の目をまじまじと見つめて言った。
「これはマスターレベルのことなのよ」
「マスター......?」
「そう。でなければ、こんなことは起こらない。いきなりステージ4とか、脳転移で緊急入院とか、そういうこと」
いわゆるスピリチュアルという世界では、魂が成長するために様々な課題を自分に課すと言われている。
そのなかで最高難度、一番ハードなヤツが、マスターレベル。
だからこんなにハードなのか......。
フジコさんは言葉を区切るように、ゆっくりと言った。
「これはね、刀根君が自分で決めて、自分で起こしていることなのよ」
え?これが?
自分で決めて、自分で起こしている?
もしかして......これは......。
僕の......僕の、魂の計画ってこと?
『魂』は人生の青写真を描いて生まれてくるという。
今生で体験する重要な出来事や大切な人との出会い、それら全ては生まれる前に計画してくるというのだ。
ということは、今回の僕の肺がんステージ4もフジコさんの言う通り、僕の計画だったということになる。
瞬間、僕の中で全ての出来事が一つの線上につながった。
そうか、わかったぞ。
なぜ、いきなり肺がんステージ4だったのか。
なぜ、他でもない僕だったのか。
なぜ、全力で立ち向かったのに、跳ね返されたのか。
そうか!
そうか!
だからか!
肺がんステージ4は、僕の魂の計画だったんだ!
次の瞬間、心の深いところから声が聞こえた。
「自分で作った計画なんだから、越えられるんじゃね?越えられない計画は、作らないでしょ」
別れ際、フジコさんは言った。
「今日は会ってくれてありがとう。私の知っているヒーラーで河野さんという伊勢に住んでいる人がいるの。本物のヒーラーよ」
「そうなんだ。本物なんだ」
「うん。時々東京に出てきてるみたいだから、退院したらヒーリングしてもらったら?すごくいいと思うし、刀根君には必要だと思う」
「ありがとうございます。退院したら、行ってみますね」
でも、そのとき僕は退院するイメージは持てなかった。