定期誌『毎日が発見』の人気連載、哲学者の岸見一郎さんの「生活の哲学」。今回のテーマは「生と死の絶対的断絶」です。
死は観念である
誰も自分の死を生きている間に経験できない。死者の国から帰ってきた人はいない。生きている限り、死がどのようなものかを考えることしかできず、その意味で、死は「観念」でしかない。
哲学者の三木清(※1)は次のようにいっている。
「死について考えることが無意味であるなどと私はいおうとしているのではない。死は観念である。そして観念らしい観念は死の立場から生れる、現実或あるいは生に対立して思想といわれるような思想はその立場から出てくるのである」(『人生論ノート』)
誰も死を経験できないが、それでも死が生に何の影響ももたらさないわけではない。生の終わりに死が確実にやってくると思うと、生きることには意味があるのかというようなことを考えることから思想は生まれてくる。
死は経験できないという意味で観念であれば、死とどう向き合うことができるだろうか。死は観念でしかない、だから死について考えることが無意味であるのではなく、むしろ、死は観念なので死については論理的に考えなければならないのである。
三木が次のようにいっているのは、死について論理的に考えることの例になる。「私にとって死の恐怖は如何にして薄らいでいったか。自分の親しかった者と死別することが次第に多くなったためである。(中略)仮に私が百万年生きながらえるとしても、私はこの世において再び彼等と会うことのないのを知っている。そのプロバビリティ(蓋然性(※2))は零(ゼロ)である。私はもちろん私の死において彼等に会い得ることを確実には知っていない。しかしそのプロバビリティが零であるとは誰も断言し得ないであろう、死者の国から帰ってきた者はないのであるから。二つのプロバビリティを比較するとき、後者が前者よりも大きいという可能性は存在する。もし私がいずれかに賭けねばならぬとすれば、私は後者に賭けるのほかないであろう」(前掲書)
死別した人には生きている限り二度と会うことはない、死んだら確実に会えるかといえば、誰も会えるとは断言できない。しかし、断言できないけれども可能性はある。死ねば会えるというプロバビリティは、百万年生きながらえて再び会うプロバビリティより大きい。
哲学者のカール・ヒルティ(※3)は、次のようにいっている。
「地上で罰が加えられないことがあるのは、われわれの見解からすれば、むしろ、この世ですべての勘定が清算されるのではなく、必然的になおそのさきの生活があるにちがいない、という推論を正当化するであろう」(『眠られぬ夜のために』)
この世には、少なくとも見たところ罰せられもせずに、数多くの不正が行われている。他方、真面目に生きたのに報われない人がいる。ヒルティは、むしろ、そのことから、すべての勘定が精算されるこの世の「さきの生活があるにちがいない」と推論している。
三木もヒルティも実感を、もちろん経験を語っているのではなく、論理で推論している。生と死は本来相容れないものなので、死者の生命という矛盾したものについては実感できないのである。
宗教は論理的に推論するだけにとどまらない。さらに「賭け」を加味した信仰が必要である。論理的に自分が死ねば死者と会える確率は高いとか、「さきの生活」があるに違いないと推論しても、実際にどうなるかはわからないからである。
「さきの生活」があるかどうかについていえば、「ある」と推論し、そのことを確信できたとしても、実際、死ねばどうなるかは誰もわからないのである。
※1 1897 〜1945年。『人生論ノート』は発表から80 年を超えて読み継がれている。
※2 ある事柄が起こる確実性の度合い。
※3 1833 〜1909年。スイスの哲学者、法学者。著書に『幸福論』などがある。
死は絶対的な他者
三木は死は絶対的な「他者」であるという(『哲学的人間学』)。他者であれば、限界はあっても、ある程度は理解できないわけではない。
哲学者の森有正(※4)が、初めて女性に郷愁に似た思いと憧れ、そして、かすかな欲望を感じた頃のことを書いている(『バビロンの流れのほとりにて』)。実際には、森は自分が憧れた女性とは一言も言葉を交わしていない。何ら言葉を交わすことなく夏が終わり、彼女は去ってしまった。そんな彼女なのに、森は自分の思いをわかってくれるような気がしたという。そして、この恋情は「全く主観的に、対象との直接の接触なしに、一つの理想像を築いてしまった」。それは相手に対する何の顧慮も打算もなしに「愛の一つの原型」ができてしまったことを意味する。
「それはもう彼女ではなく、僕だけの原型なのである」(前掲書)
永遠に森の中で生き続けることになった彼女は、森だけの「原型」であり「観念」だったが、彼女自身ではなかった。彼女が観念でなくなるためには、言葉を交わす必要があった。
しかし、言葉を交わしたからといって、完全に理解することはできない。「理解する」はフランス語ではcomprendre、「含む」という意味だが、完全に包み込むことはできない。包み込めないところ、つまり、理解を超えたところは必ずある。それでも、言葉を交わしたら、ある程度の理解ができる。
ところが、死は「絶対的な」他者である。言葉を交わすことに相当する経験もできないからである。それゆえ、死は観念であることを忘れてはいけない。死がどんなものかは実感することも、経験することもできず、論理によってしか理解できないのである。このことを知っていなければ、死を生の延長にあるものと見なし、既知のものに置き換えて死をイメージすることになる。
死が絶対的な他者であるということは、生と死には絶対的な対立、断絶があるということである。哲学者の田辺元(※5)は「自ら進んで自由に死ぬことによって死を超える」(『歴史的現実』)と戦地に赴く学生に説いたが、そんなことでは死を超えられないし、超えてはいけないのである。田辺と同じ時代に生きた三木は、国のために命を捧げようとする若者を救うべく、生と死の断絶を強調したのだろう。
生の問題は生の中で解決しなければならない。憎いからといって死に至らしめるのも、この世での不正を死と共に帳消しにするのも間違いである。
※4 1911 〜1976年。哲学者、フランス文学者。
※5 1885 〜1962年。哲学者。京都大学教授などを務めた。