「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」、ぜひお楽しみください。
持つべきものは...
僕はピンチに陥っていた。
心の中でつぶやく。
明け渡し、サレンダー...。
Doing(行動)じゃなく、Being(在り方)なんだ。
自分のBeingをぶらさないこと、ここ、ここがポイントだ。
量子力学的には、自分のBeingの発する周波数が、次の出来事を引き寄せると言われている。
だから、不安や恐れに支配されてネガティブにどっぷりと浸らないこと、そこが肝心。
...ということは、これも自分が引き寄せたってこと?
一瞬、疑問が頭の片隅をよぎったが、僕はそれを強引にしまい込んだ。
現実を考えろ!
で...どうしようか?
そうだ、今までやってきたことじゃないことをしよう。
逆のことをやるんだ。
今までは自分で考え、自分で計画を立て、自分で行動をして結果を出してきた。
だからその逆、つまり、自分で考えない、自分で計画を立てない、自分で行動しない、ということ。
自分で考えない...じゃ、どーする?
そうだ、他人に考えてもらおう!
そう、自分のことは実は一番自分が分かっていない。
分かったつもりになりやすい。
だから、信頼できる親しい人に聞いてみよう。
僕がこれからやる仕事は、どんな仕事なのか、どんな仕事が合っているか、ということを。
僕は、さっそく信頼している友人の社労士、中江さんに会いに行った。
「いや~本当に良かったですね」
中江さんとは僕が入院していたときに、お見舞いに来ていただいたとき以来だった。
「その節はお世話になりました。おかげさまで、DVDを楽しく見させていただきましたよ」
中江さんは、お見舞いでポータブルDVDとなぜか映画「荒野の七人」を持ってきてくれた。
僕は引き続き、会社での出来事を話した。
中江さんはプロの社労士の顔になった。
「刀根さんは、傷病手当給付金を受けていますよね」
「はい」
「期限はいつまでか知ってます?」
「たしか3月末までだったと思います」
「じゃあ、傷病手当てが3月末まではもらえると思います。給付金に添付する診断書は病院の先生に書いてもらえますか?」
「ええ、この声じゃ研修は出来ないので」
「そうですね~、それじゃまだ無理ですね~。いままで手続きは会社の方で?」
「ええ、今まではそうです」
「じゃあ、これからは自分で手続きをすることになると思いますが、とりあえずそれで3月末までは一定の収入が見込めますね」
「そうなんですか、いや、ホントにありがたいです」
「今、身体からがんはほとんど消えているのですよね」
「はい、原発巣のところはまだ残っていますが」
「じゃあ、障害年金はもらえないですね。あれは障害があって働けない、もしくは働くことに障害がある人が申請できるものですから。それと、退職理由は聞いていますか?」
「退職理由ですか?いえ」
「退職理由、自己都合と会社都合によって失業保険の受けられる日数が違うんですよ。受給開始の期間も違ってきます。自己都合だと会社を辞めてから3ヶ月経たないと受給できませんが、会社都合だと、翌月から受給できるんです。確か金額も違ってくると思いますよ」
「僕の場合は、たぶん会社都合だと思いますけど」
「まあ話の経緯だとそうですね。でも、そこ、ハッキリしておいた方がいいですね」
中江さんは社労士らしく僕の知らないことをどんどん教えてくれた。
これから行うであろう健康保険の手続きのことや、独立した場合の株式会社にするメリットとデメリットなど、いろいろ詳しく教えてもらうことが出来た。
さすが、プロは違う。
持つべきものは信頼できるプロフェッショナルの友人だな。
「いろいろとありがとうございます。まあすぐではないですが、独立という方向も一緒に考えていきたいと思っています。そこで、僕だけの考えでは限界があるので、もう信頼できる人に聞いてみようと思って来たんです。中江さん、僕にはどんな仕事が向いていると思いますか?」
「そうですね~、刀根さんは、先生と呼ばれる人たちの先生みたいな感じが合っているのではないかと思います」
彼には僕のそういう姿が見えているようだった。
「先生の先生か~」
そのとき僕は、なかなかイメージ出来なかった。
教えるって言っても、なにを教えるんだろう?
今までやってきた心理学かな?
中江さんと別れた帰り道、また漠然と不安がやってきた。
これから、どういう道が僕に待っているんだろう?
濃い霧の中では前が全く見えないように、僕には自分の人生がどこに向かっているのか、全く見えなかった。
翌日、友人の河合さんが経営する会社を訪れた。
河合さんは僕の入院中にアロマオイルをお見舞いに持ってきてくれて、そのおかげで、その後の入院生活の快適さがさらにアップした。
「いやあ、刀根先生、ホントに良かった。ホントに良かったです。こんな元気になって」
河合さんは目を赤く潤ませた。
自分のことで泣いてくれる人がいるなんて、なんて幸せ者なんだろう、僕は。
「ありがとうございます」
固い握手をしたのち、体調の話から始まり、会社を辞めることになりそうだと、経緯を説明した。
「えっそうなんですか...」
河合さんも驚いたようだった。
「で、おそらく僕は自分で仕事を始めることになると思うんですが、一人でやるんじゃなくって、信頼できる人と一緒にやりたいと思って、それで河合さんのところに来たんです」
「え...」
彼は赤くした目を更に丸くすると
「ありがとうございます。僕のことを思い出してくれて」
と言って目をこすった。
「そのときが来ましたら、ぜひ一緒にやりましょう。僕も刀根先生の心理系の講座を自分の所でやるのが夢だったんです。刀根先生の心理学の理論はとても斬新ですので、それをメインとした新たな流れを作っていくお手伝いがしたいのです」
「ありがとうございます」
持つべきものは信頼できる友人。
僕はちょっとでも先行きが見えたことで重圧が軽くなった気がした。
しかし新しい心理学の流れか...。
河合さんはああ言ってくれたけど、僕にそんなものが創れるんだろうか?
その2日後、以前勤めていた会社で僕の上司だった佐々岡さんに会った。
彼は僕ががんになったのと同時期に会社を辞め、独立して新しい事業を始めていた。
その知らせを受けたのが、ちょうど僕のがんが見つかった日のことだったから、今でもそのメールのことはとてもよく覚えている。
「会社を辞めることになりました」
佐々岡さんから来たメールに、僕はこう返した。
「そうですか、おめでとうございます。ついに辞めるのですね。今後のご活躍が楽しみです。実は僕はがんが見つかりまして、ステージ4でした。でも治りますから心配しないでください」
すぐに返信が来た。
「驚かそうと思って連絡したのに、逆に驚かされてしまいました。でも刀根さんならきっと大丈夫です。なぜならいつも笑っているからです」
僕にとってそのメールは、がんと闘っていたときの心の支えの一つになっていた。
翌年6月の緊急入院カミングアウトのときにも、
「う~む。さすが刀根ちゃんだわ。私は会社を起業しました。刀根ちゃんの笑顔を見に行くね」
というメッセージをもらっていた。
回復の報告と、今後の仕事の相談もかねて、約束の新宿高層ビルに足を向けた。
「おお、刀根さん、お身体はもう大丈夫ですか?」
佐々岡さんはアロハにジーパンというくだけた格好で現れた。
スーツ姿でビシッと決めた佐々岡さんしか見たことがなかった僕は、そのくだけた様子をとても新鮮に感じた。
佐々岡さんの笑顔は相変わらず素敵だった。
「ええ、がんはほとんど消えました。体力はまだまだですけど。髪もまだちゃんと生えてないです」
僕が帽子を取ると、ざんばらの頭が出てきた。
佐々岡さんは少し気の毒そうに目を細めると、言った。
「やっぱり痩せたね。身体が小さくなった気がする」
「ええ、体重が10キロ以上落ちまして、一時は50キロくらいまで下がりました。今少し戻って55くらいですかね」
「うらやましいな、私も体重を落としたいよ、特にこのあたりのね、ははは」
佐々岡さんはお腹をさすりながら笑った。
「でも、がんの減量は最悪ですよ」
「私もそれは経験したくないよ」
「佐々岡さん、どういうお仕事を始められたのですか?」
「実はね、刀根さん...」
僕は佐々岡さんの新しい事業と、その構想を聞いた。
「刀根さんの今までのキャリアを考えて、今後はいろいろお手伝いしてもらうことがありそうなんだ。刀根さんの心の専門家としてのキャリアはたいしたものだよ。もしかするとWEBで記事を書いてもらうとか、ね。そういうことだったら、身体の負担も少ないからお願いできるかな?」
「ええ、もちろんです。ありがとうございます、嬉しいです」
「いや、私の方こそ助かります。優秀なライターを1人確保できて嬉しいです」
一緒に講座をやろうと言ってくれた河合さんに続いて、佐々岡さんも僕に一つの道を見せてくれた。
一つ動くたびに一つ扉が開く、そんな感じがした。
【次のエピソード】退職金も出ない...⁉ 僕のメンタルを蝕む「仕事を失う不安」/続・僕は、死なない。(10)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。