ストレスでがんが再発しそうだ...。僕が崩壊寸前になった「本の執筆」/続・僕は、死なない。(23)

「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」をお届けします。

pixta_65841908_S.jpg新しい毎日

4月26日、定期診察のためにCT撮影と血液検査を行い、翌々日にその結果を聞きに、僕は東大病院へ行った。

「体調はどうですか?」

井上先生は聞いた。

「ええ、いいです。時々咳が出たり、胸がツーンと痛くなったりしますが、他は問題ありません」

井上先生は、CT画像を頭のてっぺんからじっくりと見た後に言った。

「CT上ではなんら問題はありませんね。前回同様、ほとんどがんは見当たりません。原発巣のがんもこんな感じになっています」

先生がペン先で指した画像には、白い筋みたいなものが写っていた。

「前回はまだ形があったんですけどね、今回は筋になってますね。」

「でも、まだ筋が残ってるんですね」

「大事なのは"これが活動しているかどうか"ということです。前回よりもさらに小さくなっていますし、なによりCEAがまた下がってますから、なんら問題ないと考えられます」

腫瘍マーカーCEAは基準値の5.0よりもかなり下の2.0まで下がっていた。

「ありがとうございます。でも、これも消したいな~」

井上先生は苦笑いを浮かべながら言った。

「そういえば、お仕事の方はいかがですか?」

井上先生には、僕が会社を辞めたことを伝えていた。

「ええ、今はハローワークに行っています。単発で研修をこなしながら、ボチボチ仕事を探しています。ま、少しずつ体調を上げていきたいと思ってます。やはり人前で1日話すのって体力いりますからね」

「身体のダルさはどうですか?」

あ...そうだ。

そういえば、4月にはいってから、身体のダルさがほとんど抜けていたことを思い出した。

「ええ、抜けましたね。もうほとんど感じないです」

「それは良かったです。身体の機能が戻ったんですね」

「ええ、長かったです。え~っと7ヶ月くらいですか...」

僕はステロイドを止めてからの月を指折りで数えてみた。

「ずいぶん元気になりました。仕事もボチボチ頑張ります」

「そうですよね、頑張ってくださいね」

優しげに微笑む井上先生を見ながら、この人が担当で本当に良かったと思った。

4月からの生活も、なんとかなっていた。

ハローワークには月に1回通い、その間に知人や友人の紹介を受けていくつかの会社をまわる。

みんな僕の事情を同情はしてくれたが、就職に結び着くことはなかった。

しかし、失業保険と、以前の後輩からやってくる月に数回の研修で、なんとか生活が破綻することなく続けられていた。

本当に感謝だな。

僕はこの状況を作ってくれている全てに感謝を感じた。

しかし、5月に入る頃から体調が悪くなり始めた。

それは本の執筆によるストレスが原因だった。

執筆が終盤にさしかかるほど、僕のストレスは増していき、それに比例するように、どんどん体調が悪くなっていった。

そして6月末、ついに執筆していた本が書き上がった。

約半年、僕は一生懸命に書き上げた。

書き上げる寸前は、編集の人からの鋭い指摘などが重なり、僕は崩壊寸前だった。

そこまでして僕がこの本を書いたのは、『恐れ』だった。

これから先の生活への不安、恐れがこの本を書く原動力になっていた。

「本を出版すれば、収入になるかもしれない」

「本を出版すれば、何かの仕事につながるかもしれない」

何度も初めから書き直しを指示される中で、僕のストレスはほぼ頂点に達していた。

何を指摘されているのか、分からない。

何度直しても、違うところを指摘される。

もう限界だ。

意味が分からん。

なんでこんなに苦しまなきゃいけないんだ。

このままだと、ストレスでがんが再発するぞ。

もうやめよう、と何度も思った。

しかし、将来の生活に対する不安が、その思いを押しとどめていた。

6月の最後の日、編集者たちと打ち合わせを終えた僕は、あまりの疲れに家に帰るとすぐに寝てしまった。

翌朝、携帯を見ると編集者からクレームのメールが入っていた。

僕はそれを見て、きれた。

もう、無理だ。

編集者へ返事を打ち始めた。

「もうやめましょう。僕は限界です。ご期待に添えなくてすみません。もう本を出版しなくて結構です」

その送信ボタンを押そうとしたときだった。

また、僕の携帯がメールを受信した。

今度は出版社からだった。

「ここから先は、私たちの方で進めさせていただきます。お疲れ様でした」

身体から、力が抜けた。

おお、そうか...。

もうこれで、書かなくてもいいのか...終わった...終わったんだ。

僕は安堵感に包まれた。

しかし、本を書く事によるストレスは、予想以上に僕の身体にダメージを与えていた。

そして、その日から、僕はまたさらに、しかも、とてつもなく体調が悪くなっていった。

【次のエピソード】咳が出る、胸が痛む...「肺がんの再発」を覚悟し、妻に同席してもらった診察/続・僕は、死なない。(24)

【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)

【まとめ読み】『僕は、死なない。』記事リスト
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50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。OFFICE LEELA(オフィスリーラ)代表。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。その後、人気講師として活躍。ボクシングジムのトレーナーとしてもプロボクサーの指導・育成を行ない、3名の日本ランカーを育てる。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかり、さらに両眼、左右の肺、肺から首のリンパ、肝臓、左右の腎臓、脾臓、全身の骨に転移が見つかるが、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。現在は、講演や執筆など活動を行なっている。

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『僕は、死なない。 全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』

(刀根 健/SBクリエイティブ)

2016年9月、心理学の人気講師をしていた著者は、突然、肺がん告知を受ける。それも一番深刻なステージ4。それでも「絶対に生き残る」「完治する」と決意し、あらゆる代替医療、民間療法を試みるが…。当時50歳だった著者の葛藤がストレートに伝わってくる、ドキドキと感動の詰まった実話。

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