「50歳での末期がん宣告」から奇跡の生還を遂げた、刀根健さん。その壮絶な体験がつづられた『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)の連載配信が大きな反響を呼んだため、その続編の配信が決定しました!末期がんから回復を果たす一方、治療で貯金を使い果たした刀根さんに、今度は「会社からの突然の退職勧告」などの厳しい試練が...。人生を巡る新たな「魂の物語」、ぜひお楽しみください。
新しい学び
11月16日、東大病院の診察に出かけた。
あの日以来体調は下り坂だった。
大丈夫かな、いや大丈夫だろう...。
グラグラと揺れる心を抱えながら診察室に入ると、井上先生が嬉しそうに言った。
「腫瘍マーカーのCEA、ついに基準値に入りましたよ。良かったですね」
「おお、そうなのですか、最近少し体調が下り坂ぎみだったので心配してたんですが...」
「ええ、問題なく、順調ですよ」
「ありがとうございます」
僕の心配をよそに、血液検査の腫瘍マーカーの数値はついに4.1まで下がり、基準値に入った。
僕はホッとした。
よし、さおりちゃんと立てた目標の3つ目をクリアしたぞ。
この状態を保たなくちゃ。
12月に入ってすぐ、先日相談に行った社労士の中江さんが主催する「伝習録から学ぶ」というワークショップに出かけた。
儒教の一派である王陽明という人が打ちたてた『陽明学』という学問をみんなで学ぶのだと言う。
その日は初回で、王陽明先生の紹介と、『陽明学』の簡単なキーワードの解説から始まった。
中江さんが丁寧に話し始めた。
「致良知(ち・りょうち)という言葉があります。王陽明先生の前までの朱子学では、良知に至ると言って、学んで努力することで、良い智恵に至ることが大事と言われていました。つまり真理は自分の外側にあって、それを学んで獲得することが学問の道だったのです」
つまり、今の学校教育と同じだ。
外から知識を学んで自分の中に入れること。
「へぇ~、そうなんですね」
参加者の誰かがつぶやく。
「王陽明先生は致す(いたす)良知と言って、人は生まれながら、もともと良い智恵を授かっている。だから、それに気づき、そしてそれに従って行動することが大事だと説きました。つまり真理は自分の中にある。だから、自分を見つめ、磨き、そして行動で現すことが真理を究めることと言ったのです」
なるほど、そう、全ては自分の中にある。
天国も地獄も。僕の心の中の何かがそう言っていた。
「あと、知行合一(ちぎょう・ごういつ)という言葉があります。これは知ってることと、やっていることが一致して、初めて"知っている"と言える状態だと、いうことです。頭で分かっていてもそれが行動という形で表現できていなければ、それは知らないと言うこと、という意味ですね」
なるほど...。
確かに「頭」で分かっていても出来ていないことはたくさんある。
いや、その方が多いかもしれない。
「出来ていないこと」は「知らないこと」と同じ意味なのかもしれない。
「事上練磨(じじょう・れんま)というのは、目の前の仕事や出来事によって、人間の味が磨かれると言うことですね」
事上練磨...。
「人間を磨くのは書物を読むことじゃない、と陽明先生は強く言っています。だからなのか、陽明先生は生涯1冊の書物も書いていません。書物にとらわれるな、書いた文字に囚われるな、真理は書物や文字の中じゃなく、自分の中にあるのだから、と言いたかったのかもしれないですね」
確かに僕もがんからの生還体験でいろいろなことを学んだ。
あれは本に書いてあったことじゃないし、誰かに教えてもらったことでもない。
自分で体験したからこそ、腹の底から「分かった」と言えることだった。
特に「明け渡し」「サレンダー」はなかなか言葉で説明できるものではなかった。
ワークショップは「伝習録」という王陽明先生の弟子が書いた書物を、個々の感性で訳してみる、という内容だった。
面白かったのは、原文が同じでも訳す人によって内容が全然違うことだった。
一人ひとり、心の状態や引っかかっている事柄などで訳される内容が全くと言っていいほど違っていた。
「そうです、ですからこのワークショップは伝収録『を』学ぶのではなく、伝収録『から』学ぶ、というコンセプトなのですよ」
中江さんはそう言って笑った。
ワークショップの中で、僕は仕事のこと、これからのこと、特に『会社員』という立場にしがみついている僕を見つけた。
僕はひとりになることを怖がっていた。
『会社員』という、ある意味守られた立場に安住していたい僕がいた。
ひとりは怖い。
ひとりは恐ろしい。
ひとりじゃ無理だ。
ひとりじゃ生きていけない。
怖がりの僕は、そう言って震えていた。
僕の魂は、そういう怖がっている僕を「手放す」ということを仕組んだんだろうか?
これから僕は、そういう僕を手放すことが課題なんだろうか。
でも、実際、僕はとっても怖かった。
その数日後、以前漢方クリニックを紹介してくれたナンバさんからお誘いが来た。
「面白いセミナーがあります。そこのドクターの話が面白いんです。一緒に行きませんか?」
僕はナンバさんと一緒にセミナーが行われるクリニックに出かけた。
クリニックの待ち合い室をセミナー会場にしているため、ちょっと窮屈だったけれど、その手作り感と開催側の熱意が充分すぎるほど伝わってきた。
受付を済ませしばらくすると、元気のよい小柄な女医さんが出てきた。
彼女は歯切れよく語り始めた。
「私は今、緩和ケア病棟で医師をしています。そういう所にいると患者さんたちから教わることがとても多いです。良くなっていく人と、あっという間に悪くなってなくなってしまう人の違いは、一体何なんだろう?と考えることが良くあります。いくつかの違いはありますが、一番の違いは患者さんご自身の認識です」
「認識?」
僕は小さくつぶやいた。
「患者さんご自身が、ああ、自分はもう緩和ケアに来てしまった、あとは死ぬだけだ、もうダメだ、と認識すると、身体はあっという間にそうなります。身体がその認識の言う事を聞いてしまうのです」
確かに、そういうのあるだろうな...。
「そうじゃなくて、いやいや私はまだまだ元気、大丈夫、良くなります、という認識を持っている人は、そうなっていく人が多いんです」
なるほど...僕もケースは違うかもしれないけれど、そうだったのかもしれない。
「西洋医学のドクターで、こんなことを言う人がいるなんて思いませんでした」
僕はナンバさんに話しかけた。
「そうでしょ、面白いでしょ、この先生。私も好きなの」
ナンバさんはにこっと笑った。
女医さんは続けた。
「大きな視点で見てみると、病気という症状を作り出したのも自分の認識ではないかと。ですから認識を変えれば病気は治る、ということです」
確か、寺山心一翁先生も同じような事、言っていたな...。
「西洋医学で出来ることは、対処療法、治療にしか過ぎません。現代医療は、病気を身体の不調としか見ていません。しかし人間は身体だけの存在ではないのです。身体とこころはつながっています」
こんなドクターがいるんだ。
僕は感心した。
「そしてこころは認識に左右されます。ですから認識を変えること、つまりとっても乱暴な言い方をするとすれば...」
僕は言葉を待った。
「病気を治したければ、『悟れ』と言うことです」
うわ~、すごいな、この人。
「すごいでしょ、この先生、ぶっ飛んでるでしょ」
ナンバさんがニコニコしながら言った。
その後、もう一人のドクターが出てきて、自律神経について説明を始めた。
「自律神経というのは、心臓を動かしたり呼吸をしたりという、自分の意思で動いていない筋肉や臓器の動きをつかさどっているものです。身体の不調は、この自律神経の乱れから始まります」
自律神経...
それは僕も本で少し読んでいたが、詳しいことは忘れてしまっていた。
「自律神経には緊張を増す交感神経と、リラックスを増す副交感神経の二つの種類があります。私たちの健康はこの絶妙なバランスの上に築かれているのですが、ストレスを強く感じるとき、このバランスが崩れます。ストレスを感じると心臓の鼓動が早くなったり、ドキドキと強くなったりしますよね。手のひらから汗が出たり身体が冷たくなったりします。これが交感神経優位の状態です」
僕は思わず自分の掌を確かめた。
「現代社会はこれを必要以上に刺激する環境になっていて、その中で私たちは生きているのです」
確かに、がんになる前の僕はいつも緊張状態だった。
仕事である研修や、ボクシングで。
でも、今も将来のことでリラックスなんて出来る気分じゃなかった。
ドクターは続けた。
「交感神経優位ですと、常に緊張していますから、身体のあちこちでバランスが崩れていきます。生活習慣が崩れ、体内環境が悪くなります。最も影響があるのは血液環境です」
そういえば、寺山先生は「血液をきれいにしなさい」と言っていたっけ...
おんなじことだったのかもしれないな。
「私たち人間は血液の中に臓器が浮いているような存在ですから、血液が汚れると細胞に影響が出ます。そしてある閾値を超えると、細胞の遺伝子が変化して、病気という形になって外に現れるのです」
そう、がんになる前、僕の心はいつも戦闘状態だった。
ずっとそれが続いたことで、ドクターの言うとおり、遺伝子が変異してがん細胞が生まれてしまったのかもしれない。
「自律神経は、実はお腹の辺りに集まっているんです。胃や腸に絡み付いているのです」
ドクターは図面を出して説明しはじめた。
そうか、ストレスでお腹が痛くなると言うのは自律神経の緊張だったんだ。
僕はお腹をさすった。
「ここをマッサージするだけで、自律神経は柔らかくなり、リラックスすることが出来ます」
よし、いいことを聞いた。
これからちょっと試してみよう。
翌日からマイケル・A・ジンガー著『サレンダー』という本を読んだ。
勉強嫌いでヨガや瞑想が大好きな大学生が、自分の目の前に起こることをいっさい否定せずに全て受け入れ、その流れに従って生きていったら、IT企業の大富豪になってしまいました、という嘘みたいな本当の自伝だった。
目の前の状況に抗わない、身を任せる。
目の前に起きたことをあれこれ判断しないで、出来事に集中して一生懸命、丁寧にこなしていくだけ。
ホントかな?
それで新たな人生の流れがやってくるんだろうか?
たったそれだけで、この人みたいな大富豪になれるんだろうか。
でも、僕も同じようなことを、がんからの生還のとき、体験していた。
これを、今の状況に当てはめて考えてみると...。
このままだと傷病手当給付金は3月末に終わって、収入ゼロ決定。
あっという間の生活破綻だ。
最悪、生活保護になってしまうかもしれない。
いや、それは絶対に避けたい。
「マンション売ったら?」
社長の言葉を思い出した。
最悪、そういうことになるかも...。
不安と焦りの気持ちは、僕の心の片隅にくすぶり続けていた。
うむむ...。
がんのときは「脳転移からの緊急入院」みたいな劇的な展開があって「サレンダー」出来たけれど、今回はじわじわと迫ってくる感じだから、なかなか「サレンダー」にアクセス出来なかった。
「サレンダー」...。
その言葉とともに、中江さんが言っていた「事上練磨」を思い出した。
うむ、まさにサレンダーの事上練磨だな、こりゃ。
劇的展開がなくても、普段の意識のままで「サレンダー」出来るようになりなさいってことなんだろうな。
僕はそんなふうに思った。
【次のエピソード】「これじゃあ奴隷だ...」がんから生還した僕に会社が提示した「3つの働き方」/続・僕は、死なない。(12)
【最初から読む】:「肺がんです。ステージ4の」50歳の僕への...あまりに生々しい「宣告」/僕は、死なない。(1)
50歳で突然「肺がん、ステージ4」を宣告された著者。1年生存率は約30%という状況から、ひたすらポジティブに、時にくじけそうになりながらも、もがき続ける姿をつづった実話。がんが教えてくれたこととして当時を振り返る第2部も必読です。