最近、世界的な企業が哲学者を招き、未来を見据えた経営に行っています。それはヒトの繁栄が生きる道だと認識されているからです。国内経済の低迷は続いていますが、過去日本には「ヒトを追う」経営者がいました。故松下幸之助の側近だった江口克彦は間近で仕事に携わり、23年間に渡って経営の厳しさと妙味を体感してきました。松下翁からの聞き書きした形で経営のコツをまとめた著書『こんな時代だからこそ学びたい松下幸之助の神言葉50』(アスコム)からリーダー論などをご紹介します。
【前回】社員が個性を発揮するには明確に方針を打ち出す/こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50
個性を発揮させる
それにしてもこの庭にはいろいろな木があるなあ。
杉もあるし、かえでもあるし、松もあるし、ようけあるな。
あとはどういう名前かわからんけどな。
あそこの松の向こうに見える、わりと大きな木があるやろ。
あれはなんという木かなあ。
苔がきれいやな。
この苔はなかなか手入れが難しいんやで。
いまも植木屋さんがああやって水を撒いてくれておるけど、いつも水をやっておらんとな。
湿気が大事なんやな。
京都はちょうど湿気があるから苔が育つわけや。
夏の京都は蒸し暑いといわれるんやけどね。
東京ではなかなか育たんらしい。
カラッとしているところがあるんやろうな。
この苔の種類も、たくさんあるそうやな。
この庭だけでも、十数種類くらいはあるか。
そんなにあるか。
こういうようにこの狭い庭を見ただけでもいろいろなものが存在していることがわかるわね。
けど、だから面白いと言えるんや。
これがね、みんな一種類だけであとはなんにもないということであれば、この庭もつまらんわな。
この庭だけではない、この世の中なんでもそうやな。
たとえば花でも薔薇なら薔薇だけしかない、この世に薔薇という花しかないということになれば面白くないわね。
薔薇もあれば桜もある、百合もあれば菊もあるというように、たくさんある花がそれぞれに特徴をもって、それぞれに精いっぱい存在しておるというところがいいわけや。
人間でも同じことが言えると思う。
みんな同じ顔形をしていて同じことしかせんかったら、これは相当気味悪いわな。
けどそうではない。
いろいろな人がいて、いろいろなことを考えて、いろいろなことをして、だからいいわけやな。
個性とか、その人の持って生まれた特質とか、誰一人同じ人はおらんわな。
それが、いわば自然の姿というものやな。
百花繚乱という言葉があるやろ。
会社でもそうやな。
従業員にいろいろな人がいないとあかんわけや。
同じ人ばかりでは全体として面白くない。
それに会社としても強くなれん。
経営をしておると、さまざまな問題が出てくるんや。
そのさまざまな問題に対応するのに、一種類だけの人では対応できんがな。
いろいろな人がおると、まあ、この問題はあんたやってくれ、この問題はきみならできるからやってくれと、そういうことができるわな。
それで会社は強くなるんや。
昔話で「桃太郎」というのがあるやろ。
さるときじと犬か。
みんな違うわね。
違うから、それぞれの役割が生まれ、違うからよかった。
鬼退治ができたわけやね。
だからな、会社にはいろんな人がおらんとな。
まあ、個性を持ったというか、特徴を持ったというか、そういう人の集まりにすることが大事といえるね。
個性豊かな社員たちをどう活用していくか、これが経営者の腕の見せどころというわけや。
個性豊かな社員をよけい持ったら、組織がばらばらになるのではないか、と考える人がおるかもしれんが、そんなことはない。
逆やな。
むしろ個性的な人が多いほうがまとまりやすいわ。
きみ、そこの壁に絵が掛かっておるやろ。
たとえば絵というものはこの世にはありません、壁しかありません。
ということになれば、壁の上に壁を掛けても、なんも意味ないわな。
壁とまったく違う絵というものだから、うまく調和がとれておるわけや。
まとまっとるわけや。
障子でもそうやろ。
敷居と鴨居という、障子と違ったものがあるから障子は障子として個性を発揮できるし、敷居も鴨居もそれぞれに個性を発揮して存在できる。
そういうことやから、個性的な人を集めることは結局、会社を強くすることになる。
きみ、分かるか。
そこで、そんなに個性的な人を集め、それぞれに存分に働いてもらうことが大事ならば、さっきわしが言った方針というようなものは、いらんのと違うかと。
そういうことを言う人もおるかもしれんな。
方針があったら、個性を発揮できません、特徴を出すことができません、と言うかもしれん。
しかし実際には決してそんなことはないわけや。
だいたい、会社というのは、ひとつの目的を持って組織されておるんやから、当然ながら、その方向に進んで行くための枠組みというものがあるんや。
だから個性を発揮するといっても、その方向で発揮するということになるわね。
けど個性というものは、もともとひとつの、まあ、いわば拘束というものがないと発揮できんのや。
非常に矛盾したことを言うようやけど、個性は拘束なくしてありえない。
そういうことや。
さっき障子と敷居、鴨居の話をしたやろ。
その障子が障子でありうるのは、敷居と鴨居という拘束があるからや。
障子が自由に開け閉めできるのは上と下で挟まれておるからや。
個性というのも同じことや。
大工さんの道具箱でもそうやね。
大工道具というひとつの方向があって、それで道具はさまざまだと。
カンナもあればトンカチもある。
ノコギリもあればノミもあるというようにね。
それぞれに個性を主張しとるわね。
また、女の人の首飾り、考えても分かるわな。
その、ひとつひとつの玉は独立して個性を発揮しとるけれど、それならばそれだけで首飾りになるかと言えば、ばらばらで、首飾りとは言えんわな。
その、個々の玉を一本の糸が通っておるから、それではじめて首飾りになるんやろ。
その糸が、会社でいえば経営方針であり、基本理念であり、ということになるんや。
会社に経営理念があって、それが金太郎飴のようにビシッと一本、従業員の中に通っておらんといかんのやな。
基本のところで筋が通っていながら、いや、だからこそ個性を発揮できる余地が生まれてくる。