性別:女
年齢:46
プロフィール:シングルマザーです。若い頃からショートスリーパー気味だった私。今は福祉の仕事で毎日が忙しいけれど睡眠時間が少ない分、時間がたくさんあるのですが、眠れないのは寿命が短くなるとこの頃よく聞くので心配です。どうして眠れないのか、改めて考えてみました。
※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。
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私は若い頃からいわゆるショートスリーパーで、集中していたら3日くらいは眠らずにいられる体質です。おかげで学生時代も眠る時間を確保する必要はなく、バイトし放題。それこそ新聞配達、その後のコンビニのレジ、学校、レストランでの店じまいまで働き続けても平気でした。なので、私は人よりもちょっと得しているかもと、呑気に考えていました。ただ、全く眠くならないわけではなく、多少眠くはなります。ですが、1時間も休むと休みすぎと感じるくらい回復が早いのです。ですので、よい睡眠をとるために寝具にこだわる人や眠る時が一番幸せという人が不思議でした。
そんな私に変化が訪れたのは4年前の2013年のこと。18歳の娘が自殺で亡くなりました。それ以来、私は眠ろうとしても眠れなくなってしまいました。
娘は、不眠症で悩んでいました。私は、彼女が眠れず苦しい思いをしていたなんて、全く知りませんでした。娘が亡くなった場所には、市販の睡眠導入剤の空き箱がありました。
私は、がむしゃらに働き、子ども二人を育てているつもりでした。大学生になった娘は、私が取りたかった資格の勉強をしていました。数年後には一緒に仕事ができる、それまで私が頑張れば、なんとか先も見えると思っていました。その頃は、自分たちの未来は今より少し明るく、よくなっていると信じ切っていたのです。
娘がなくなり、一瞬で一緒に過ごした時間や思い出などが崩れ落ちました。「頑張り続ければ、人の役に立っていれば、いつか親子で幸せになれる」そう思って描いていた未来像が、消えてなくなってしまいました。
その時から、常に目が冴えていることに気づきました。かといって気持ちが高ぶっているわけではなく、感情は凍ったように何も感じません。
残った私と息子は、生活のために働き続けなければいけません。眠っていなくても仕事はできるのですが、そのうち、食べられないし、気力がないので、フッと力がなくなって立てなくなるようになってしまいました。それでも眠れないことを私は苦しいとは思えませんでした。娘の不眠症に気づいてやれなかった私に眠る資格はないのだと思っていましたし、今でも心のどこかでそう思っています。自分が眠ると残った息子も消えてしまうのではないかという恐怖にとらわれていたのも、眠れなかった原因だと思います。でも、そうした生活を当たり前として受け入れ続けました。
そのように、ろくに眠らず食欲もなく、ただ仕事をして必死で息子と生きて2年半ほどたったとき、熊本地震が発生しました。仕事柄、人助けのため息子と組んで走り回って、朝日が昇って明るくなると避難所と病院を往復、夜10時過ぎまで活動しました。
食べられる時に食べなきゃと食事を詰め込み、ドロドロで家に戻り、二人折り重なるように畳に倒れこむ日々。息が切れるけど、疲れたけれど、立ち止まると誰かが死ぬかもしれないと思って、1週間休まず働き続けました。この時、娘を亡くしてはじめて、3時間を超える深い睡眠をとることができました。
日常に戻ると、また眠れない日々がはじまりました。ひと月ほどして職場のストレスチェックでほぼ満点で引っかかり、心理士と面談することになりました。「眠れない生活を3年ほど続けているけれど、それは助けることができなかった娘への償いの想いもあるから治さないでいい」と私がいうと、「それは自己満足でしかないし、間違っている」と説かれました。確かに、眠らないことを償いにするのは自己満足かもしれませんが、今はそうしていてもいいのかもしれない、とも思い、まだ積極的な治療はせずにいます。
眠れないと悩むことで、神経が余計に過敏になるのかもしれません。あまりにも眠れない時は、「眠らなくていい、地震の時みたいにいつか必要な時は眠れるはずだから」と思うようにしています。これからも私の眠りは浅いのだと思いますが、そんな夜は子どもの寝顔を見ながらゆっくりとした時間を過ごしてみたいと思います。
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