夫が脱サラして始めた居酒屋を夫婦二人三脚で営んできました。
ところが、夫と常連客だった女との浮気が発覚。そして離婚...。
現在の私は一人暮らし。近くに住む孫たちと楽しい日々を過ごしております。
▶前回|ある日突然脳の血管が詰まって...「サイレントキラー」糖尿病を放置した末の脳梗塞
シルバー人材センターにて紹介していただいた2箇所の会社でパート勤務していた頃、脳梗塞が発覚。
しかし、その後は後遺症もほとんど無く、薬を服用して体調を維持できました。
病気が発覚するまでは1日も休むことの無かった仕事を長期間休んでいたので、いつ頃職場に復帰しようかとずっと考えていました。
そこで、病気発覚前ほどでは無いけれど、体調が戻ったんじゃないかと感じた頃、職場に復帰することに。
病気のせいで収入が途絶えてしまっており、少しの蓄えも減っていく一方だったので、これから先の生活が不安になった私は焦っていたのです。

脳梗塞発覚後はある程度の障害が残るかもと病院の先生に言われ、実際視界の何分の1かが見えにくい状態ではありました。
車の運転はしないからいいけど、自転車の運転も危険なのでやめておいた方が良いそう。
急に視界の中に人が現れたり、視界の一部をハサミで切り取ってくっつけたんじゃないかと思えるような見え方で自分でも危険を感じていました。
仕事を再開した当時には右側の人の作業がまだ終わっていないのに商品を持っていこうとして、「それまだ終わってないよ〜(笑)」とかになったり。

週3で入っていたスーパーの清掃の仕事は辞めるつもりでいたのに、人がいないからという理由で週1で続けることに。
そんな感じで万全の体調では無いのに無理をして仕事をしていたせいで、身体がだるくて貧血のような状態が続いていました。
一部分だけ欠けていた視界の方は、日が経つに連れて違和感が無くなり普通に見えてきたので、運転するのをためらっていた自転車も難なく乗れるようになりました。
そして少しだけ病状が落ち着いてくると色々なことを思い出しました。
脳梗塞発症当時、部屋の電気も付けずに座っていた私は、後に家に来てくれた娘達が灯りを付けてくれたものだと思っていましたが、どうやら電気は自分で付けていたし、しっかり朝食も食べていたようです。

この時の私は脳の血管が詰まったり、流れたりの繰り返しだったようで、頭の中の血液が詰まっている時の記憶が曖昧になり、何かのきっかけで血液が流れると普段通りになるようです。

ですからあのまま放っておいたら血液は流れなくなって何も覚えていない状態が続き、取り返しのつかないことになっていたでしょう。
そして発症から2カ月近く経った頃、毎日身体が重くて仕事をするにも以前のように思うように動かない苛立ちがあり、もうこの重い身体のままで一生過ごさなければいけないのかなと思っていました。
それに仕事のミスも多くなってきて職場の人から疎まれているのでは無いかという妄想に私は悩まされていました。

そんな悩みを抱えていた頃、次女の結婚式が執り行われることになりました。
流行り病の真っ最中でしたから披露宴等はせずに式のみで出席するのは身近な親族だけ。
結婚式にはどうやら元旦那も呼ばれている様子でした。
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。




