こんにちは。ブログ『キッチン夫婦』を運営しているベにゆうです。
【前回】「余命は2週間」父は癌じゃないと喜んでいたのに...急激に悪化する父の体調に家族は
余命2週間と言われた父。
どうか助かりますようにと祈りながら、万が一のことになった場合の準備を進めていた。
父は家族経営の会社の代表取締役社長だったからということもあり、変更や引き継ぎ等、急いでやるべきことがあった。
兄が取締役を継いだ。
ビクビクと緊張しながら2週間を過ぎた頃。
家族は父の命はここまでかといったん覚悟をしていたが、逆に良い兆しがあらわれていた。
呼びかけに反応するようになった。
目を開けられるようになっていた。
ここからどうなるんだろ..。
最初にかかった病院では「胃がんステージ4の可能性大」「ひどい逆流性食道炎」と言われて、沈んだり喜んだり大きく気持ちを振り回されたように感じていた私たち家族。
その後、入院したこの病院で「肝硬変で余命2週間」と宣告され、今は回復の傾向。
この状況をどういう風にとらえていいのか混乱していた。
普段、面会に行っても担当医に会うことはなかった。
どう言われるか怖かったけど、担当医に話を聞きたいと看護師さんにお願いした。
担当医は、使用した薬やどういう治療をしたか説明後、「今日初めて、表情が出たのを見たんですよ」と少し驚いた顔をして言った。
ほとんどずっと目をつぶったままだったからだったからだろう。
続けて「正直、この治療が効くかどうかは半信半疑でわからなかったんです。珍しく効いた。上手くハマったレアケースです」
レアケース?
治療の内容をできる限りわかりやすい言葉を使って話してはくれたのだと思うけど、どれがどうなってどうしたかはやはり理解とはまではいかなかった。
けど、「レアケース」という言葉がすごく印象に残った。
ただ、珍しく効いたなら良かったと思った。
そして、「2か月くらいはどうこう悪い状態にはならないと思います」、「たぶん歩けるようになるのは難しいと思います」と聞いた。
それから父は少しずつ回復していった。
話せるようになっていた。
顔色も良い。
病院でこういうことがあった、誰がこうしたとか詳しく話すようになった。
笑うようになった。
冗談を言い、憎まれ口をたたくようになった。
ご飯を3食残さず食べるようになった。
個室から2人部屋に移され、家族以外で会いたい人も面会可能と言われた。
父らしさが戻り、面会した人たちを少し安心させるくらいの様子があった。
しかしこうして元気になってきたせいか、面会は他の人と同じように週1回のみにされた。
父の友達が予約をしていた当日に「毎日面会できるのは昨日で変更になりました。なので次回は来週です。予約で週1回1組2人まで20分程度」と言われてしまった。
父が入院前から体調が悪いのでは?と気にかかてくれていた人だったので「あの...ずっと待っていた方なので、今日予約している方まで面会させてもらえませんか?」と私は自分の殻をほんの少し破って粘ってみたが「その人は絶対今日会わなければいけない人ですか?」と逆に聞かれ「はいそうです」とは言えなかった。
絶対という言葉は強い。
他の患者さん家族、みんな我慢しているのも事実だ。
この方はその後も何度か電話をくれ、容態を気にかけてくれていたが、結局父に会えないでしまった。
私はこのことを申し訳なく思っている。
そして入院して1か月が過ぎた頃には、入院していた急性期病院から転院することが決まった。
入退院調整の看護師が「正直、最初入院された時は退院のお話をできるとは思ってなかったです。奇跡ですよねぇ。今朝も○○さんてば冗談言ってました。ご飯もいっぱい食べるしお元気になりましたよねぇ」と言っていた。
どうやらやっぱり、入院当初は回復は無理だと診断されていたんだなと改めて実感していた。
-------------------------------
豆腐あんかけ丼
材料
木綿豆腐...1/2丁
a:だし...200cc
a:しょうゆ...大さじ1
a:片栗粉...大さじ1
a:柚子胡椒...少量
生姜すりおろし...小さじ1/2分
塩昆布...お好み分
ごはん...茶椀1杯分
作り方
1)鍋にaの材料を入れ混ぜて弱火にかけとろみをつける
2)豆腐はスプーンですくい取って1に加えて温める
3)ごはんを盛り、温めた豆腐をのせ塩こんぶをちらし、1をかけてしょうがを添えていただきます
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。