こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴ったブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】え、私が疑われてる!? 通帳と印鑑がない! と騒ぐ義父。こちらを見て「まさかの一言」
3年前までは地区で開催される敬老会参加を続けていた義父母でしたが
2年前の敬老会直前に
義父自ら「やめる」宣言。
それ以降、参加することはなくなってしまいました。
義父はこの年に1度の敬老会を随分と楽しみにしていましたが、最近では10分以上座っていることも難しくなってきたこともあり
1時間ほどの敬老会が持ちこたえられないと悟ったのでしょう。
義母を口実にして「やめる」と言ってきたのは、おそらく義父ならではのプライドもあったように思います。
今では高齢者が激増し、わが地区の『敬老会』も対象が75歳以上に引き上げられました。
歳を重ねるごとに体調や気力を以前と同じように保つことは難しくなります。
『敬老会』も出席出来ること自体が幸せ。
自力で出席出来る期間は思いのほか短いのかも知れません。
以前にも登場しましたが、夫のとしおさんには弟(私にとっては義弟)がいます。
実家である我が家とは年に2回、盆と正月くらいの行き来しかなく
高齢に達した両親がどういう状態にあるのか終始無関心を決め込んでいました。
もちろん、この年の敬老の日も完全スルーです。
たまたま同居ということで関わらざるを得なかった私たちは、離れて暮らしていると自分の親なのにここまで知らんぷり出来るものなのか? と、はじめの頃こそ憤懣やるかたない思いを抱いていました。
ですが、介護生活が長引くにつれ、私たちは義弟に対して多くを望まなくなり、連絡も途切れがちとなっていきました。
「介護の大変さは当事者じゃないと分からない」というのは多くの介護者が口にする言葉です。
たまに顔をチラッと見に来るだけでは簡単に伝わらない日常の重み。
向こうをむいたままの義弟に対しそれらを根気よく伝える気力を私たちも維持できなかった...というのが正直なところかも知れません。
環境の向上や医学の進歩などによって日本人は平均寿命世界一となりました。
しかしそれが介護される側、介護する側双方に幸せをもたらせているかどうかは『当事者』の私たちにとって甚だ疑問です。
自治体によって敬老会対象者の年齢はまだまだ引き上げられる傾向にあるようです。
高齢者は増え、若い人は自分たちの暮らしで精一杯。
敬老会の主催者側も高齢者という笑えない事態も生じます。
かつては参加者の送り迎えも盛大に行っていたわが地区の敬老会も自力で会場へ来られる方限定とならざるを得なくなりました。
『長寿』=『めでたい』は昔の話?
敬うべき高齢者はどんどん隅っこに追いやられているような...。
敬老会が催されるたび、自分たちの行く末も含め色々考えてしまいます。
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