<この体験記を書いた人>
ペンネーム:トリコ
性別:女性
年齢:50
プロフィール:W不倫していた夫(52歳)に見切りをつけ別居に踏み切りました。家族の世話から解放されて1人暮らしを満喫中。
2020年の夏に77歳で亡くなった義母がまだ50代だった頃の話です。
男の子しか育てたことがなかった義母は、娘と旅行や食事に行く友人たちが羨ましかったようです。
「息子が結婚したら、お嫁さんと一緒に出かけるのが夢だったの」と話し、嫁いだばかりの私を百貨店巡りやランチに誘い、あちこち連れ回してくれました。
「私のことは実のお母さんだと思って甘えていいのよ」と、義母は張り切っていたものの、嫁の立場からするとお姑さんにはやはり気を遣いました。
とはいえ、まだ20代前半だった私は、目上の方の誘いを断るのは失礼だと思い、義母に言われるままどこへでもお伴していたのです。
せめて夫が一緒ならば少しは気も楽でしたが、親子関係が良くなかったためか、誘われるのは私ばかりでした。
とくに妊娠してからは、初孫が産まれる嬉しさもあったのか、義母の誘いも頻繁になりました。
数あるエピソードの中でも忘れられないのは、1999年冬のできごとです。
お腹はだいぶ膨らんで動くのも億劫だった私のもとに「赤ちゃんの服を一緒に買いに行こう」と、義母から誘いの電話が入りました。
「体調があまり良くなくて...」と断るも「車で行けるところだから」とお構いなし。
その車を運転するのは身重の私だというのに...。
まだバックモニターなどという便利な機器は搭載されていない時代です。
駐車するときの安全確認は、後ろを振り向いて目視で行わなければならず、お腹の大きい妊婦にはつらい体勢でした。
さて、ショッピングモール内にあるベビー服専門店に入ると、ウキウキの義母にあちこち連れ回されました。
たまに「この服はどうかしら?」とこちらに意見を求めるものの、結局は自分の好みを優先させて自己満足するのでした。
「私の好きなものを買ってくれないのなら、一緒に来た意味がないですよね」とは口が裂けても言えません。
何より財布の紐を握っているのは義母なので、口答えはできない状況でした。
会計を終えたときには、私の足はすっかりむくみ、ストレスのせいかいつもよりお腹も張っていました。
疲れた体を引きずって駐車場までカートを押していたときです。
義母と同年代と思しき女性に声を掛けられました。
どうやら義母の古い知り合いのようでした。
早く帰りたい私をよそに義母は「この子、長男の嫁。来月出産予定なのよ」と、世間話を始めるではありませんか。
嫁と買い物をするという憧れのシチュエーションを誰かに自慢したかったのでしょう。
「今日は孫の服を選びに来たのよ~」と、嫁と仲良しアピールを始めました。
そんな義母を無視し、女性は私に優しい口調でこう言いました。
「お姑さんが買ってくれるものは嫌でも『ありがとう』と言わなくちゃいけないし、お姑さんの言うことは嫌でも『はいはい』と聞かなくちゃいけないものね~」と。
なんと彼女は、私が義母に言いたくても言えなかった気持ちを言葉にしてくれたのです。
その後も別れ際に「お腹も大きいし、運転するのはつらいんじゃないの?」と心配してくれました。
さすがの義母も自分のことしか考えていなかったことに気づいたようです。
「帰りは私が運転するわね」と言ってくれました。
私の気持ちを代弁してくれたこの女性のことはいまでも忘れません、ありがとうございます!
人気記事:《漫画》義母と私の関係は良好! なのに...一歩たりとも「我が家に上がらない」のはなぜ?<前編>
人気記事:《漫画》「結納金は空の封筒で良いかしら?」だと!? 結婚に水ばかり差す義母にイラッ<前編>
人気記事:「役立たずな乳やなぁ」産後の退院当日から...姑の嫌がらせフルスロットル!《かづ》<前編>
- ※
- 健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
- ※
- 記事に使用している画像はイメージです。