「お義父さん、あっちの世界では...」父の葬式で大恥の夫。一瞬で空気が凍った「一言」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:トリコ
性別:女性
年齢:50
プロフィール:W不倫していた夫(52歳)に見切りをつけて別居に踏み切りました。家族の世話から解放されて1人暮らしを満喫中。

「お義父さん、あっちの世界では...」父の葬式で大恥の夫。一瞬で空気が凍った「一言」 35.jpg

結婚25年目にして、私は夫に別居を宣言しました。

別れて暮らすに至った直接の原因は夫のW不倫でしたが、普段は横柄な態度を取るくせに、いざというときは頼りないところも不満でした。

これはまだ家族が平穏に暮らしていた2012年春の出来事です。

私の父が老衰のために86歳で亡くなりました。

突然の訃報にオロオロする私の傍らで、夫は私以上に不安そうな表情を見せていました。

彼の心配の種は、私の実家の宗派でした。

私の両親は熱心なクリスチャンで、6歳違いの姉も生まれたときに洗礼を受けました。

当然ながら、父の葬儀は教会を借りてキリスト教式で執り行うことに。

一方、夫の実家は浄土真宗。

慣れない宗派の葬儀で粗相をしてしまうのではないか、夫はそう思って緊張していたのです。

ただ、キリスト教式といっても大まかな流れは仏式と大差ありません。

お坊さんがお経をあげる代わりに神父様が祈りを捧げるだけです。

宗派や地域性による違いはあれど、父のときは祭壇の設営や香典、霊柩車などの手配を葬儀社の方にお願いしました。

葬儀社の担当の方はよく気がつく方で、父が好きだった桃の缶ジュースをわざわざ買ってきてお供えしてくれました。

それを見た従姉妹たちが「これ、おじさん(父のこと)の家に行くと必ず出てきた」と、しんみり思い出を語り合っていました。

そんなしめやかな雰囲気の中、通夜と告別式が執り行われ、最後のお別れとなる出棺の時間が近づいてきました。

2012年でしたので、コロナ禍の影響もなく参列者も多く、教会の信者さんや近所の方にもお越しいただきました。

皆さんの手には、眠る父に手向けるためのユリが一輪ずつ握られていました。

まずは喪主を務める母(当時74歳)が「私がそっちへ行ったときはまたケンカしようね」と言って、父の枕元にそっとユリを置きました。

葬儀社の方との打合せでは、単にユリを手向けるだけだったのですが、感極まった母は思わず言葉をかけてしまったようです。

続いた姉(当時46歳)も涙を堪えて「お父さんの娘だったことを誇りに思います」と述べたため、私も何か言わざるを得ない流れになってきました。

そこで「お父さん、たくさんの愛情をありがとう」と感謝の言葉を口にすると、場の空気を察した中学生と小学生の孫3人が「じいじ、ありがとう」「大好きだよ」「天国でゆっくり休んでね」と、それぞれ言葉をかけて会葬者の涙を誘っていました。

そんな折、ユリの花を手にした夫がゆっくりと柩に近づいてきました。

葬儀社との打合せや親戚の対応に追われて、すっかり夫の存在を忘れていた私。

彼の強張った表情を見ると、嫌な予感に襲われました。

この人、アドリブで別れの言葉をちゃんと言えるかしら...と。

そして次の瞬間、予感は見事に的中しました。

「お義父さん、あっちの世界では大好きな桃のジュースを飲んで...飲んで...飲んで長生きしてください!」

もう亡くなっているのに「長生きする」とはどういうこと?

しめやかな空気が一瞬で凍りついたのは言うまでもありません。

葬儀社の担当者も咄嗟のことにフォローしきれず苦笑されていました。

火葬場に向かうタクシーの中でそのことを指摘しても、夫は「そんなこと言ったっけ?」と惚けていました。

あのとき、姉の夫(当時46歳)がすかさず柩の前に歩み出て言った言葉が忘れられません。

「お義父さん、家族のことは僕が責任持って守りますから安心して眠ってください」

義兄が立派な挨拶で締めくくらなければ、どんな惨事になっていたことか...。

いまでもあのときの夫の言葉を思い出すと顔から火の出る思いです。

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