こんにちは山田あしゅらです。
義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴った ブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。
ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。
【前回】終わりが見えない義父母の「介護生活」。両親との接触を避けていた夫にも変化が...
2015年春。
わが家の三男三郎が大学を卒業しました。
長男誕生から31年間。
未熟な親だった私たちも試行錯誤を繰り返し3人の息子を育ててきたわけですが、三男の大学卒業でわが家の子育てもやっと一区切り。
親の役目もこれで一応終了と心からホッとした私たちです。
この三郎の高校入学とほぼ同時に始まったのが義父母の介護でした。
当時、2年ほどうつ病を患っていた義父が何らかのきっかけで躁転(うつ状態から躁状態に切り替わること)してしまい、私たち家族に苦難の日々が始まりました。
三男の高校入学説明会の最中に次男から「じいさんが暴れている」と連絡が入り
慌てて家に飛んで帰ったのも今では苦い思い出です。
義母の認知症も同時に進み
心の準備も出来ないまま、否応なしに始まった我が家の介護。
そんな中、何かのヒントになるかも知れないと認知症介護をテーマにしたお医者さんの講演を聞きに行ったことがあったのですが、その中で話された
という言葉が私の中でいつまでも引っかかっていたのです。
初めと終わりは大変だけど途中は「それほどでもない」ということでしょうか。
介護は始まったばかりでしたが永遠に続くかのような毎日に絶望感さえ抱いていた私には、にわかに信じがたい話でした。
しかし、数年後。
デイサービスが利用出来るようになったお陰で義父母とすこし距離を保てるようになりました。
それだけでなく被介護者側も介護を受け入れる気持ちが少しずつ整ってきたように思います。
介護は一朝一夕に成り立つものではありません。
介護者被介護者双方が葛藤しつつゴタゴタを抱えつつ苦闘する毎日を繰り返し、もしかしたら「それほどでもない」時期は今なんじゃないかな?
と、思えるようになってきました。
子育てを終えた今、介護も子育ても同じだなと思います。
何も分からないまま始まるのも同じ。
双方葛藤しながら苦悩するのも同じなのです。
さて、子育てが済んだら今度は自分たちの老後のことを考えなくっちゃ...。
一方、育児と介護の大きな違いは先が見通せないこと。
どういう経緯を持って卒業なのか?そしてそれがいつになるのか?
区切りの形と時期が明確な子育てと、ゴールは全て闇の中で来る日も来る日も終わらぬ介護。
介護が大変なのは『最初と最後』って実はそういうことなのかも知れません。
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