<この体験記を書いた人>
ペンネーム:こまめ
性別:女性
年齢:49
プロフィール:在宅ワークをしながらのんびり暮らす主婦。猫と貯金が大好き。
2021年7月、猛暑の最中に東京に住む私の叔母(母の妹、73歳)が脳梗塞で倒れました。
すぐに救急車で運ばれたものの意識は戻らず、子どものいない夫婦だったので、叔父(78歳)は一人暮らしになりました。
叔父はそれまで家事を一切したことがなく、料理はおろか生活全般を叔母に任せていました。
包丁を握ったことがなく、レンジも使えず、ATMの使い方すら分かりません。
コロナが猛威をふるう中、すぐに駆け付けることもできなかった私たちがまず調べたのは「地区名・介護」などのキーワード。
居住地の役所へ電話をかけ、管轄の地域包括支援センターにつないでもらいました。
同時に北海道の親族からのお見舞い金を数件分まとめて送付し、ひとまずの生活資金を確保してもらいました。
支援センターの職員の方が訪問して銀行などへ同行したほか、洗濯機やレンジの使い方なども教えてくださり、食事は近所のコンビニのお弁当や飲食店でとってもらうことになりました。
幸い、叔父のマンションの1階にコンビニがあり、ちょっとした買い物には困らない環境です。
なんとか叔母が退院して戻ってくるまでは元気に過ごしてもらわなくては...。
心配が募りつつも叔母の入院後は面会もできませんでした。
なんとか元気に戻ってほしい、麻痺が残ったとしてもリハビリして回復できれば...そう願っていたのですが...。
結局、叔母は11月に亡くなり、叔父と住んでいた家に帰ることはありませんでした。
叔父には兄弟がいるのですが、10年以上会っておらず、疎遠であてにできない、と言います。
叔父が住み慣れた場所で暮らし続けられれば良かったのですが、家賃だけで年金がなくなってしまうような状況では、どこかへ引っ越さねばなりません。
叔母の入院中から叔父は、ゆくゆくは北海道で暮らしたい、みんなのそばにいたい、と言っていました。
それで、こちらで年金で暮らせる施設を探しました。
介護認定を受け、自立や要支援1でも入れる施設を探しました。
うちからバスで10分ほどの距離にある施設が見つかり、部屋の下見も済んで、あとは入居するばかり...となったとき、疎遠だった叔父のお兄さん(82歳)が北海道行きを猛反対してきたのです。
叔父はお兄さんに強く言われると言い返せないようで...。
自分がどうしたいのか、決断する力も弱っていたのかもしれません。
何度も何度も本人の意志を確認していたのに。
結局、叔父は北海道には来ず、お兄さんの意向で千葉の公団へ移り住みました。
千葉で面倒を見る、とお兄さんは言いますが、訪問するのは月に1、2度程度。
家も遠く、1時間以上かかる距離に住んでいるのだそうです。
新しい家は交通の便も悪く、コンビニも徒歩10分はかかります。
それでも叔父は、最初の3カ月間は頑張ってコンビニやスーパーへ行って暮らしていました。
大丈夫だよ、と言うけれど、心配だったので、再び地域包括支援センターに連絡。
訪問、宅配弁当も手配して環境を整えていた矢先、叔父が栄養失調になってしまいました。
1週間ぶりに母(78歳)が電話をすると、少し熱が出た後に食欲が落ち、宅配弁当も飽きて食べなくなり、めまいでふらふらするとのこと。
急いで支援センターへ連絡。
すぐに病院へ連れて行ってもらい点滴をして、栄養補助剤をもらって自宅療養、ヘルパーさんが週3回入ることになりました。
叔父がなんとか元気を取り戻して、健やかに暮らしてもらうにはどうしたらいいのか。
センターの皆さんのおかげで今は少し落ち着いてきましたが、電話で励ますくらいしかできず心配しています。
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