最後まで老々介護に奮闘していた父。亡くなって分かるありがたさ

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ペンネーム:ぴろ
性別:女
年齢:53
プロフィール:親の介護はひと段落したけれど、老犬が要介護に近づいている今日この頃です。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

父が亡くなって1年が過ぎました。父のことが好きだったかといわれると、すなおに頷けない自分がいます。父の悪いところばかり思い出すのもどうだろうと、1年が過ぎてやっと思えるようになりました。

独りよがりで自分勝手な父でしたが、最後のときは母の介護で、ずいぶん追い詰められていたようです。そして父なりに一生懸命、母の介護をしていたのだと思います。

母が認知症になって家の事ができなくなると、次第にそれまで家の事はほとんどやってこなかった父が代わりにやらなければならないことが増えていきました。

母は持病があって毎食後と寝る前に薬を飲んでいました。しかし認知症になってから薬の管理ができず、飲んだことを忘れてまた飲んでしまう、過剰摂取が起きました。そこで父が食事のあと薬を渡すことにしたのですが、母の薬を飲まなければならないという気持ちが強すぎて、飲んだのに「私の薬はどこ?」と家中を探し回って父が隠していたタンスの奥から探し出してまた飲んでしまうのです。隠し場所を転々と変えて母に見つからないように苦労していました。電話で、隠しても隠しても見つかってしまう、もう隠すところがないと嘆いていました。

父が亡くなったとき、母の薬が見つからなくて、あちこち探しました。薬は父が寝ていたベッドの枕の下にありました。そこなら母が薬を探しにきても、薬を取ろうとすると寝ていても自分が気づくだろうからそこにしたんだと思うと、父の必死さが伝わってきました。

家中の鍵も見当たらなくて、鍵の束がクローゼットの奥から出てきました。

そういえば、以前母が家の鍵をなくして警察を呼ぶ騒ぎになったこともありました。

そのため、母が気づかないところに隠していたんです。

母は認知症になってから、相手を思いやることが少なくなり、自分の思ったことやしたいことを周りをかまわず行動するようになっていました。とくに父とは激しく口論になることもあったようです。父は、もともと気性が激しい人なので二人きりの生活は喧嘩の連続で煮詰まってしまうこともありました。

2、3カ月に1度くらい担当のケアマネさんから、そろそろ2人の生活が行き詰ってきているので、母を私のところに気分転換で泊まらせたいと連絡がくるので、母を迎えにいって私と妹のところに観光気分で宿泊させるという方法で何回か危機を乗り切ってきました。そうすると、またお互い一人にはなりたくないと思うようでした。

亡くなる2、3日前に電話で話したのが父との最後になりました。

いつも電話で母の介護の愚痴を言うのですが、きまって最後には、私が「もう一緒に住むの無理なんじゃない? 母を引き取ろうか?」と言うと、それまで大変だ、つらい、疲れたと言っていた父が「いや、まだ俺ができるから」と言ってそのまま電話が終わっていたのですが、最後の電話の時は「俺にはもうわからん、お前が今度帰ってきたときに判断してくれ」と言ったのです。ああ、もう限界なんだなと思ったことを覚えています。

 

父が亡くなってからケアマネさんから話を聞きました。ケアマネさんと最後に会った日、父は玄関先まで見送ってくれたそうなのです。何度も家を訪問しているが、そんなことは初めてだったとも。訪問看護師さんも父の突然の死に涙していました。

父も父なりに頑張っていたのだと思いました。母よりも1分でも先に逝きたいとお二人に話していたそうです。

そして「俺は娘たちに嫌われてるから」とも言っていたそうです。
ごめんね、お父さん、そんなふうに思わせて。
一生懸命やってくれたんだね、ありがとう。

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