<この体験記を書いた人>
ペンネーム:とらとら
性別:女性
年齢:53
プロフィール:アラフィフ兼業主婦。父の命日には生前好きだったお酒を供えることにしています。
現在53歳になる兼業主婦です。
私は8年ほど前に実父をがんで亡くしています。
享年71歳でした。
父は生前、昔気質な無口な人で、あまり「ありがとう」など感謝の言葉を口にするような人ではありませんでした。
私が夫(54歳)と結婚式を挙げるときにも、新婦両親のスピーチで「夫君、娘をよろしく頼む」と言っただけで終わるような人でした。
実母(77歳)曰く、「お父さん、あのときはとても緊張していたから」とのことでした。
しかし、披露宴に来てくださった親戚などへお礼もなくスピーチを終えた姿に、夫は最初は「あのお義父さんと上手くやっていけるかな」と不安を感じたそうです。
ただ、そういったお礼や挨拶もあまり口にしない人でしたが、がんの闘病中も辛いとは言わない人でした。
放射線科に移って日増しに痩せていき、時折咳込み、食事もあまり喉を通らなくなっているのに、顔を出すと「そんな毎日来んでええぞ」と怒ったように言ってきたことがあります。
しかし、担当医の先生曰く、処方されていた薬が父には合わない様子で、実際は「全身の痛みが相当出ているはず。水を飲むのさえ苦痛かもしれない」と心配そうでした。
そんな中、いつものように病室に行ったある日のことです。
その頃の父はすっかり弱ってしまい、一日中寝たり起きたりを繰り返していました。
そんなとき、母がたまたま不在だった瞬間のことでした。
私が父の病室で洗濯物などを片付けていると、ふと「ありがとう...」と聞こえたのです。
まさかと思って慌てて振り返ると、病室に入ったときには閉じていた父の目が、薄っすらと開いていました。
父と目が合いました。
その視線がしっかりしているような気がして、聞き間違いではないと感じました。
もうきちんとした言葉ではなく、かすれた声でしたが、父は確かに私に「ありがとう」とそう言ったのです。
その翌日、父は息を引き取りました。
最期まで病気と闘い、それに対しては「しんどい」とか「辛い」などは一切口にせず、私が最期に聞いた父の台詞は感謝の言葉でした。
今でも仏壇やお墓で手を合わせると、あのときの父の声とその言葉を思い出します。
そして、そのたびに涙が出てしまいます。
「ありがとう」
頑固だった父を思い浮かべながら、感謝することを忘れまいと生活しています。
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