「ママはさみしがり屋だから」。他界した夫が私に残していってくれたもの

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ペンネーム:さるまっち
性別:女
年齢:46
プロフィール:若年結婚を経て、今は孫がいる巷でいう「おばあちゃん」です。ここまで人生を重ねると、色々な喜怒哀楽があります。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私の夫は外国人でした。
30年前に実家の工場で働いていた彼。ジーンズのお尻のあたりが破けていたのを教えてあげたのが、彼と話をするきっかけになりました。

それから色々と話をするようになり、お付き合いを始めて結婚するまで1年足らずのスピード婚でした。そして子どもを育てながら、慌ただしく月日が過ぎて、あっという間に子沢山の大家族になりました。

子どもはお互い嫌いではありませんが、母親としては、育て上げなくてはいけない使命感がありますし、夫は家庭を守るために仕事を頑張るといった役目にあくせくする毎日。まぁ活発でやんちゃな子供に育ちました。当時はこんなに子供を産むんじゃなかった! 失敗した~!とよく言っていたものです。

時がたって上の子供たちも成人すると、いよいよ独り暮らしがしたいと思うようになるわけです。

私は大賛成でしたが、夫は大反対。

家族は最後まで一つ屋根の下で生活をすること! それは娘であっても息子であっても同じ答えでした。

何を言ってるんだろうこの人は?とよくケンカをしていました。
主人は「ママはさみしがり屋だから、ここから一人も少なくなっちゃダメなんだ」と私のいないところで子供たちに言っていたようですが、結果子供たちに押し切られ3人の子供たちが巣立っていきました。

3人目が家を出ていった頃でしょうか、夫の体調が少しずつ悪くなっていきました。

もともと肝炎だったのですが治療を真剣にしてくれなくて、「そんなこと繰り返してると死んじゃうんだよ? ほんとだよ?」と言って聞かせていたのですが、本人はそれほど深刻にとらえていませんでした。

それから1年が経つ頃、夫は後ろから車に追突されて、もともとあった腰の持病も悪化。みるみるうちに病状が悪化していきました。さらにその頃から肝臓の機能も低下。入退院を繰り返し、症状も悪くなるばかりで、日に日に夫は痩せていきました。

病院では肝臓移植を視野に入れたほうがいいと言われましたが、私はこのことを夫には言えませんでした。

やがて夫は車の運転をしている途中で、一瞬寝てしまうように。車の運転をかわるように言いましたが、私の運転の方が危なくて隣に乗っていられないといって、運転をかわろうとしません。買い物もいつも通り車で一緒に行って、心配だし申し訳ないとも思いつつも夫の運転で出かけていました。

年末になると、主人は物思いにふける日が多くなりました。

そして突然「少し国に帰ろうかな、ゆっくり休みたくなった」というので、年末だしちょうどいい時期だし行ってくればと言って、主人1人で大した荷物も持たず、自国へ休養に行くことになりました。

もう体力も消耗していたはずなのに、私と下の子たちを車に乗せ、空港までの1時間余りの道のりを夫は自分で運転しました。

空港内は車いすを借りて搭乗口までお世話係が付きました。
そんな状態で自国に到着して、その後2日間食事もせず寝込んだそうです。

そのあとは、今までのことが嘘だったように電話先ではとても元気でしたが、1週間後にこん睡状態で入院。その後は入退院を何度か繰り返し、1カ月が過ぎるとそろそろ夫の体力も限界になりました。

夫との最後の話を覚えています。

夫「子供たちみんな一緒に住んで、これからのこと考えていかないとダメだよ?」
私「もーいいよ、みんな帰ってきたら私が大変だから」
夫「ママは大丈夫、みんな近くにいてくれるから、大丈夫、大丈夫」
そう言って夫は1週間後に旅立ちました。
きっと自分の死期を悟っていたのでしょう。

夫は私が悲しまないように、子供を沢山預けていったんだな、と思いました。私はさみしがり屋のママだから。

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