性別:女
年齢:49
プロフィール:夫が2年の闘病の末、悪性リンパ腫で亡くなりました。2人の子供だけでなく、要介護2の義母を抱え、借金もあり、正直お先真っ暗でした。それでも周りの人から助けられて何とかやっています。
夫の体調不良が始まったのは、2012年の11月、夫が49歳の時でした。
主な初期症状は2つ。鼻血が出て困るというものと、電子体温計でエラーが出るほどの低体温でした。近所の耳鼻科で診てもらってもなかなかよくならず、体温は34.7度ぐらい。もともと平熱が35.3度と低かった夫は、あまり気にせず会社に行って精力的に仕事をしていました。
年が明けて2013年の2月、出張先で体調を崩した夫は、39度を超える高熱と全身に蕁麻疹が出て、帰宅予定日の2日遅れで帰って来ました。帰宅時には、出張先の病院で出してもらった抗ヒスタミン薬が効いたらしく、熱も引いて蕁麻疹もありませんでした。きっと昼食に出されたお刺身が古かったのだろうなどと、呑気に笑っていたのを今でも忘れられません。
しかし、この間に夫の体の中で、悪性リンパ腫は増殖を続けていたのです。
その月、改善されない鼻の症状を心配した医師のすすめで、近くの大学病院で診察を受けて、本当のことを初めて知りました。
夫の体は悪性リンパ腫に侵されていました。当初、抗がん剤でがんが消せるという話でしたが、効果はあったものの、がんは完全に消えることはなく、投与が終わるとがんは再びジワジワと大きくなっていったのです。
その後、治療を受ける前より大きくなってしまったガンを取り除く手術を受けました。その時点では取り切れたのですが、すぐに再発、転移を繰り返してしまいました。抗がん剤治療と放射線療法を同時に行っても病状は日を追うごとに悪くなっていき、180センチ80キロあった夫の体はやせ衰え60キロを切るまでなっていました。
大きな大学病院にお世話になっていましたが、他にも国立のガン専門病院や公立の総合病院、有名私大の総合病院などにも、セカンドオピニオン外来で訪れました。しかし、どこでも決定的な治療法は現段階ではなく、骨髄移植が一番可能性があるが、時期が遅すぎたということを遠回しに言われただけでした。
日に日に弱っていく主人と毎日顔を合わせて「大丈夫だよ。だんだん良くなっていくんだよ。今が一番きつい底なんだよ」と二人で慰めあっていました。しかし私は心の中で自責の念にかられていました。もっと早く気付けていたら、もっと早く血液検査をしていれば・・・ただただ後悔しかありませんでした。
2015年1月14日夕方になり、呼吸がだんだんゆっくりになったかと思うと、血圧が下がり始め、あんなに頑張っていた夫は、あっという間に旅立ちました。51歳でした。最後は苦しんではいなかったのが、唯一の救いでした。
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