<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男性
年齢:60
プロフィール:日々多忙で知られる学校の先生、その頂点ともなるとよほど立派な人が...と思っていたのに、という話です。
今から20年ほど前、まだ40代になったばかりの頃、私は町の教育委員会に勤めていました。
教育委員会と町の役場とは別だと思っている方もいるようですが、事務方は普通に役場の職員で、私も町民課からの異動でした。
当時は上の娘(現在27歳)がちょうど小学校に上がった頃だったので、子どもの様子もたまには見れるのかな、とちょっと役得気分でした。
しかし、まさか学校の先生方の、それも校長先生の見てはならない姿を見ることになろうとは思っていませんでした。
教育委員会では月1回、町の校長先生たちを集めての校長会を開きます。
「教育委員会も大変だな。口うるさい面々を集めての会議の仕切りなんてな」
そんなことを言い、いつも上から目線の発言で現れるのが、町で一番大きい小学校の校長先生であるAさん(当時退職を控えた60歳)でした。
この方は「俺は『大校長』だから」が口癖の高飛車な方で、口うるさい面々の代表格(というより他の方は普通の常識人)でした。
ある会議では、教頭先生(50代後半)が急な判断が必要になったと、会議中にわざわざ訪ねて来ました。
すると、教頭先生が持ってきた書類を斜め読みした大校長は、町の校長や教育委員会の事務方が並ぶ面前で教頭を怒鳴りつけました。
「こんなことも処理できんのか! 大校長を煩わせるな!」
そして、手に持った書類を教頭先生に叩きつけるように戻したのです。
これにはさすがに居合わせた全員が固まりました。
教頭先生は散らばった書類を拾い集めると、申し訳なさそうに帰りました。
また、Aさんは校長会の会長だったので、町の行事に来賓としてよく出席されます。
「いやあ、大校長ともなると、余計な仕事が多くて参るよ。挨拶も考えなくちゃならんしなあ」
などなど、大校長アピールも忘れません。
特に挨拶がいらないときもこう言われては、お願いせざるを得ないだけで、こちらがしてほしかったわけではありません。
しかし、挨拶に立てば立ったで問題ありです。
例えば前の方が天気が良くてよかった、みたいな話をすると大校長は...。
「私に言わせれば、雨降って地固まるの例えのとおり、天候にかかわらず事をなすということが...」
こんな感じであからさまに揶揄するのです。
Aさんの前で挨拶しにくい、と煙たがる方も少なくありませんでした。
退職した校長先生は、だいたい顧問職のような形で教育委員会に再就職されることがほとんどです。
来年からはAさんが職場に来るのだろうなあ、と憂鬱でした。
ところが、4月を迎えてもAさんは再就職してこなかったのです。
4月の教育委員会主催の懇親会(町の校長や教頭が集まっての飲み会です)で件の教頭先生をお見かけしたので、お酒の勢いもあって大校長の話を振ってみました。
「A先生、教育委員会にいらっしゃるかと思っていたのですが...」
「ああ、俺ほどの大校長になると、向こうから頼みに来るはずだから、と言っていましたけどね...」
教頭先生によれば、例によって高飛車な態度で連絡を待ち構えていたそうです。
ところがあては外れてお呼びはかからず、かと言って頼みに行くのもプライドが許さなかったのでは、ということでした。
「こんな田舎町の役をもらってもな、って言い残して退職されました」
としみじみと語られました。
あとから職場で聞いた話では、町長や教育長をはじめ、役場の上層部の方々もAさんは避けたかったため、あえて再就職の打診はしなかったようです。
来て当然と連絡を待つだけだったAさんからも何も言ってこなかったので、渡りに舟とそのままやり過ごしたようです。
改めて教育委員会の職場を眺めて、ホッと胸をなでおろしました。
しかし、Aさんもはじめから大校長ではなかったはずですから、どこかで慢心してしまったのかも知れません。
自分自身も増長して、思わぬ振る舞いをしていないか、強く戒めた出来事でした。
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