<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ラズベリイジャム
性別:女性
年齢:52
プロフィール:夫(59歳)と娘(18歳)と愛猫2匹で暮らしています。長女(23歳)は社会人になり独立! 52歳で再就職したアクティブ主婦です。
2010年の夏、一本の電話が入りました。
「レスキュー隊です。あなたの義父さんと連絡が取れないので、今から扉を破って強行突破いたします」
驚いた私が「何が一体あったのでしょうか?」と聞くと、ケアマネジャーの方が義父(80代)と連絡が取れず、訪問しても音沙汰がないとレスキュー隊を要請したそうなのです。
ええっ! 何も連絡きてないけど!
慌てて「今から向かいます」と伝えました。
確かに義父とは前日から連絡が取れていませんでした。
義父と仲があまりよくなかった私たち夫婦は(正しくは義父と夫が不仲でした)、一日一回間違い電話のふりをして安否確認をしていました。
ですが、そのときは連絡が取れなかったので、仕事が終わってから訪問しようと思っていたところだったのです。
私たちは鍵を持っていたので、いつでも義父の家に入れます。
「すみません。私たちは義父と連絡が取れていないと知っています。鍵もあるので、もう少ししたら様子を見に行く予定でした。なぜ、私たちに連絡がなく、いきなりレスキュー隊が出る事態になったのでしょうか?」
ケアマネジャーさんに聞くと、その方は新人さんで、連絡が取れないことでパニックになってしまったそうなのです。
「確かに心配ではあります。ですが、まず家族に連絡入れるのが順序ですよね」
私はそのとき、介護福祉士としてサービス提供責任者をしていたので、ある程度の知識は持ち合わせていました。
鍵を開けて入ったところ、義父は栄養失調状態で緊急入院することになりました。
そして、環境が急に変わったことで、急激に認知症が悪化してしまったのです。
私たちは病院から何度も呼び出されました。
24時間、家族を付けるように打診されたこともあります。
施設に入るまで約1年の入院生活でしたが、毎日病院へ着替えを持って昼、夜と通いつめ、仕事と病院通いでくたくたになってしまいました。
在宅介護ではなかったのでまだ楽だったのかもしれませんが、病院から毎日呼び出されて土日もなかったので、施設への入所が決まるまでは本当に大変でした。
私は介護の仕事をしていたので乗り切れましたが、その経験がなかったら私が倒れていたかもしれません。
義父の症状にあった薬が処方され、少し落ち着きを取り戻したときは、本当に安堵したものです。
施設に入ってからも8年間介護をしました。
最期は関係の悪かった義父とも和解でき、穏やかな時間を過ごせたので、苦ではなかったと思えます。
一番大変だったのは義父が施設に入るまででした。
今では懐かしい思い出になりましたが、私たちが介護が必要な年齢になったとき、自分の娘たちには同じ思いをさせないように、できるだけ準備をしていきたいと誓った経験でした。
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