<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:60
プロフィール:現在関東圏の中学校で英語の教師をしている長女(27歳)は、中学校時代、不登校気味になっていた時期がありました。
今から10年ほど前、娘(当時15歳)の中学校の卒業式が迫った2010年3月頃のことです。
「もうすぐ卒業式だな」
「うん...行きたくないなあ...」
「式の参加だけでも...一生に一度のことだしさ」
この頃、娘は不登校気味になっていました。
3年生の冬休み明けからは週に1、2回、先生から声をかけてもらったときだけ登校する状態でした。
卒業できなくなるほどの欠席日数ではなかったので、本人はできればもう学校に行かないようにしたいと思っているようでした。
そうなった原因は、夏休み前から起きていたいじめでした。
数人の同級生(もともとは仲の良かったメンバーだったようです)に無視されたり、持ち物を隠されたりしていたのです。
当時PTAの役員をしていた私は、担任の先生とも親しくさせていただいていたので、学校に相談しました。
学校もそのことは把握されており、いじめの当事者にはやめるように指導し、いじめ自体は収まっているとの報告を受けました。
まあ、この「報告」はPTA役員会の折に、役員勢揃いの場で行われたものです。
被害生徒のプライバシーよりも加害生徒のそれを守るやり方にかなり憤慨はしたのですが...。
かなり後になって娘から聞いた話では、確かにあからさまにいじめるということはなかったが、なんとなく気まずく、みんなから距離を置かれた感じになったと話してくれました。
そんなわけで精神的に落ち込んでいたため、学校に行きにくくなっていたのです。
とはいっても卒業式の日程が近づくと、本人よりも私や妻(当時45歳)のほうがやきもきしていたようです。
「式だけでも出たらいいんじゃない?」
ついそんなことを言ってしまい、煙たがられることを繰り返していました。
いよいよ卒業式まであと数日まで迫った日のことです。
「おい、手紙が来てるぞ...えっと、A子さん?」
「えっ? A子ちゃんから? なんで?」
手紙の差出人は、娘の小学校のときの仲良しの友だちでした。
中学校ではクラスが別になり、部活も違ったので縁遠くなっていた子です。
私も娘に言われるまで、その名前をすっかり忘れていたほどでした。
自室に戻って手紙を読んでいたらしい娘は、しばらくして居間に戻ってきました。
少し涙ぐんでいるようで、何かを思いつめたような顔をしていました。
「卒業式は...行く」
手紙には、私立の高校に推薦で進むことが決まっていたA子さんから、しばらく会えないと思うから最後に一緒に過ごしたい、とあったそうです。
卒業式当日、娘は朝から登校しました。
クラスでの活動にも参加して、最後の思い出を作ることもできたようです。
手紙を書いたA子さんともメッセージの交換などをして、たくさん話すことができたと、卒業式の日の夜、夕食を取りながらポツポツと話してくれました。
卒業式には私も妻も参列し、証書をもらう娘の姿を見ていました。
なんとか難局を乗り切った我が子の姿と、おそらくは娘の窮状を知って心がこもった手紙を送ってくれたA子さんの気持ちに、人目をはばからず涙して見つめていました。
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