<この体験記を書いた人>
ペンネーム:まー子
性別:女
年齢:38
プロフィール:持病のため、5カ月間実家で療養生活を終えて自分の家に帰りました。
難治型アトピー性皮膚炎の私(38歳)は、症状の悪化で2021年6月に仕事を辞め、20年ぶりに実家に帰省し、5カ月間療養生活を送った後、半年ぶりに東京の自宅に戻りました。
自宅に戻ると現実が待っていました。
半年間貯金を崩して生活をしてきたため、すぐに仕事をする必要があったのです。
自宅に戻った翌週から、リハビリも兼ねて週3日は派遣でオフイスワークをすることに。
しかし、生活環境の急な変化と、仕事にストレスを受けたのか、症状が悪化してしまったのです。
全身の炎症と、右目がアレルギー性結膜炎になり、目が真っ赤に腫れ上がってしまい、眼帯をして仕事へ行っていました。
ある日、仕事と家事の両立に苦労していた私を心配して、父(73歳)が家事手伝いとして遊びに来てくれるようになったのです。
家事は苦手でほとんどやらなかった父が、自ら進んで掃除の手伝いや買い出し、洗濯等をしてくれるように。
私はその姿を感激しながら見つめていました。
一緒に近所の大型スーパーへ夕飯の買い出しに行き、パエリアを振る舞ってくれたり、スーパーの途中にあるお洒落なオープンテラスのカフェに寄り、コーヒーを片手にテラス席で父と語り合ったりしたことは最高の思い出です。
二人で携帯を片手に自撮りをして、たわいもないことが本当に楽しかったのです。
実家にいたときは母や妹がいたので、父とゆっくり時間を過ごすことってなかったなぁ、と二人で過ごせることのありがたさを身に染みて感じていました。
結局、朝の10時に来てくれた父は、そのまま夕飯を作って夜まで付き合ってくれました。
こんなに長い時間、父と二人っきりで過ごしたのは38年間生きてきて初めてのこと。
最初は話すことあるかな、なんて心配していましたが、会話なんて必要ないんですよね。
時間を共有するだけで豊かだなぁ、とじんわり感じるものがありました。
夕飯を食べ終わって、父が洗い物までしてくれて、いよいよ帰る時間になったとき、物凄く寂しさを感じたのを覚えています。
年々小さくなっていく父の背中を見送りながら、感謝と寂しさが入り混じって涙が出てきました。
父と母の子で生まれて私は幸せな子だなぁ、と心の底から思います。
症状が完全に回復したら、今度は私が父のためにお手伝いに行こう。
また父と二人でカフェに行って、一日を一緒に過ごせる日が楽しみです。
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