こんにちは。中島めめです。今回は私と父の「側転の特訓」のお話です。
前回のエピソード:お母さん、変なこと言わないでね!家庭訪問の思い出
私は小さい頃から運動が苦手で、体育の授業になるといつも憂鬱でした。ドッジボールはボールが上手く投げられないし、とにかく当てられるのが怖くて本当に嫌でした。
水泳は息継ぎをするたびに息苦しくなる、体操は前転と後転がなんとかできる程度といった感じでひとつもいいところがなかったのです。
ある時、体操の授業で側転の練習をした事がありました。上手な子はなんのためらいもなく両手を勢いよくマットについて、くるっと回転していくのですが、見ていると簡単そうでも私がやろうとすると両手をマットについても足が全く上がらないのです。どう見てもカエルが何かに驚いて後ろ足をぴょこんと上げた程度にしか見えません。
何度やっても同じ事の繰り返しで、我ながら情けなくなってきました。
先生に補助してもらっても状況は変わらず、みじめな気持ちのまま授業は終わりました。
体育の授業でそんな気持ちになるのには慣れていたのですが、側転の練習はその後の授業でもしばらく続くようで「早く終わればいいのになぁ」と家でその事について家族に愚痴を言いました。
母はしょうがないねぇ、という感じでしたが父が物置で何やらゴソゴソやり始めました。その時は特に気にしていなかったのですが...
しばらくすると父に呼ばれ、「今から側転の特訓をするぞ!」と宣言されたのでした。
見てみると玄関先の地面に、古びたマットレスが敷いてありました。アスファルトの上に小さくて薄いマットレスが一枚...かなり奇妙な光景だったのを覚えています。
マットレスが敷いてあったのは家の前で、そこは私道で車などは入ってこれない場所だったのですが近所の人からは丸見えで、そんなところで練習するのは最初は恥ずかしくていやでした。でも一方で「練習して出来るように...なれるものならなりたい!」という気持ちもあり、なるべく人が見ていない時を狙ってやってみる事にしました。
一人で数回やってみても相変わらず「ちょっとだけ驚いたカエル」状態で、父に補助してもらって何回かやった後、何かを掴んだ気がして次は少しはできるかも...?と期待して臨むも全く変わらず...。でもどんどん意地になってきて、最後は近所の人がそばまで見に来ているのも気にせず必死に練習していました。昼間から始めたのに気づいたら夕方になっていました。
こんな時ドラマだったら最後の渾身の一回が成功して感動の嵐になるところなのでしょうが、私の場合「ちょっとだけ驚いたカエル」が「けっこう驚いたカエル」になった程度で、全く側転の形を成すには至らなかったのでした。
父は内心呆れていたでしょうし、何度も様子を見に来た母は気の毒そうな顔をしていました。
私は本当に悔しく、そして情けない気持ちでいっぱいでした。そして体じゅうが痛かったです。でも同時に、心のどこかでこの状況を可笑しがっている自分もいたのでした。都合よく空想した成功ストーリーと現実があまりにかけ離れていてなんだか可笑しくなってしまったのです。
結局今でも側転も逆立ちもできないままの人生を送っていますが、特に支障なく毎日を過ごしております。薄いマットレスの上で悔しい思いをして途方にくれていたあの夕暮れの日を、今では懐かしく思い出しています。
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