同居を続けていたら亡くなっていたかも?母が施設に入居するまで/中道あん

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先日、私は妹夫婦とで、車いすの母を伴って大阪まで食事に出かけました。一年に数度介護タクシーを使って、両親が好きだった大阪に食事と買い物に出かけています。

母の希望で今回は鰻重のランチです。元気よく食べる母の姿を見て、「あのまま、同居していたら今頃は天に召されているよなぁ」と私。妹は「ほんと、施設に入れてよかったなぁ」二人でしみじみと話したのです。

前回のエピソード:夫の浮気、そして関係破綻。絶対に独立する!と決めた時のこと

同居のストレスで生活が荒れた母

平成24年の春、桜が散ってから父は亡くなりました。四十九日を待って母との同居生活が始まったのです。

もともと問題の多い母。やりたい放題、甘え放題でも許してもらえた頼りの父とは違い
娘の私は何かと口うるさく、そして仕事があるので構ってはもれえない。
夫を亡くした寂しさと、同居生活のストレスからか家族の留守中に、それまで習慣のなかった飲酒、喫煙などで生活が荒れていきました。

母は50代で糖尿病を発症しました。加齢が進むと足元が弱り歩くこともままならず。

それまで好きではなかった甘いものに手が伸びるように。そしてインシュリンを打つようになると、それに依存するかのように食事に制限をかけなくなったのです。「まぁこれくらいなら」というのが口癖でした。

困ったことに好物が炭水化物、糖質の多いご飯類や麺類だったのです。私が仕事から帰ってくるとゴミ箱にお寿司のトレーや時にはビールやお酒の空瓶が捨ててあるのです。いくら注意しても食べてしまった後ではもう遅い。

暴食が原因で、食前の血糖値が測定不能なほど高くなったりして怖かったのを覚えています。それでも別に自覚症状がでる訳でもないので「何でだろう?」ととぼけて一食抜く程度で危機感はありません。

そんな日々を送っているうちに、だんだんと日常生活が怪しくなりました。玄関先で動けなくなり救急搬送され入院したり、孫のために作ろうとしたカップ麺をコンロにかけて危うく火事になりかけたり。それらの原因は病院では分からないままでした。

反省がないので本人の生活習慣は変わりません。何度かヒヤッとすることが続いて、ひとりは危険であるし食生活の改善にとショートステイを強引に勧めたのです。

しかし、たった一泊二日のショートステイではあまり効果が現れませんでした。

それよりも母は、「自分は大丈夫なのに、こんな所に放り込まれた」という被害者意識。ショートステイに行くか行かないかでも大喧嘩になることも。ある日も玄関先で動くことができずその場でへたり込んでいたのを、丁度学校から帰ってきた娘が見つけ救急車を呼んでそのまま入院。いつものように翌日には自由に立てるようになったのですが、うちのゴミ箱にはワインの空瓶が一本。それを見つけた時に、もう在宅介護は無理と判断したのです。

人生の選択を母自身がする

入院後すぐに自宅に受け入れ不可能と病院に申し出ました。そして会議室で、ケアマネジャー、婦長、相談員、息子、私の5人で話合いが始まりました。

一つ目の選択肢は、「家族のフォローはなし、自宅で気ままに一人暮らし」というもの。もう一つは、「施設に入居し週末にわが家に戻る二重生活」でした。どちらの人生を選ぶか母自身に選択を迫ったのです。

これは他人から見れば、ほんとうに厳しい、残酷なように見えます。しかし、いくつになっても自分の人生は自分で決めなければなりません。好き放題されては、たとえ家族でも責任が負えないのです。

私が知る限り、初めて母は一大決心で施設入居を選びました。

それは、私達の強い決心と、こうなる原因が自分自身にあると悟ったこと、そして家族との繋がりを失いたくなかったのだと思います。

そして、私が通いやすい場所にオープンしたばかりの有料老人ホームがあり、アットホームな感じとおしゃれで明るい雰囲気に惹かれそちらに母をお願いしました。

母は、行動に問題はありますが、頭はしっかりとしていて、大抵のことは自分でもできます。なので施設というよりシェアハウスのような感じで使うことに。

タバコもやめられないというと、中庭に喫煙所まで作ってくださいました。時々は近所の喫茶店にお茶に行ったりとゆるゆるな感じでの生活でした。

土曜日の夕方わが家に戻り、月曜日の朝施設に戻る。これで食生活が改善され糖尿病も安定するのではないかと期待したのですが、そう簡単にはいきません。この後、徐々に弱っていくように感じたのでした。

次の記事はこちら:だんだん歩けなくなる糖尿病の母。ついには膝下から切断することに

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中道あん
「女性の生き方ブログ!50代を 丁寧に生きる、あんさん流<」主宰。Ameba公式トップブロガー。結婚22年で夫と別居。自立した人生を送るため、正社員として働きだしました。社会人の長男、大学生の長女と同居しています。要介護2の実母は3年半同居生活の後有料老人ホームにて暮らしております。
健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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『50代、もう一度「ひとり時間」』(KADOKAWA)

20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として普通に生きてきた。でも50代になると人生の転機が頼まれもしないのに訪れる。夫との別居、母の介護、女性としての身体の変化、子どもたちの成長。そこから見つけた「ひとりの楽しみ」をあますところなく伝え続ける、「あんさん」流のアラフィフライフ。50代からの人生を前向きに過ごすためのヒントが満載。

 

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