<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男
年齢:59
プロフィール:実家を離れて暮らす59歳の地方公務員です。母の体調がよくないのですが、弱みを見せたがらないので気を遣います。
体調を悪くしたものの、さしあたり大丈夫と言われていた母(89歳)でしたが、入院しながら精密検査をしたところ、すい臓にガンが見つかりました。
すい臓ガンは見つかりにくいそうで、見つかっただけでも幸運だそうですが、体力的に手術は難しいということで、抗ガン剤治療をすると聞かされました。
聞かされた、とはずいぶん冷たく聞こえるかもしれませんが、実家を離れて独立している私には弱みを見せたがらない父(89歳)から厳しく口止めされていた兄(62歳)が、電話で知らせてくれたのです。
それでも、経過は悪くないので、見舞いに来るのはやめておけ、という話でした。
「やあ、ウジ、いよいよ親父が弱音を吐いたよ。時間を見つけてお袋に会いに来てやってくれ」
兄からそんな電話があったのは、5月の末でした。
「うまく行ってないのか? 抗ガン剤治療」
「う~ん、進行は抑えられてるらしいんだけど、心臓とか、いろいろ負担が重なってるからな、かなり厳しい感じだよ。まあお袋は強気でいるけどさ...」
母らしい、と思いました。
とにかく、電話の次の土日まで待って(休みを取っていくと、母が気にするだろうということで、あえて)見舞いに行きました。
病室に行くと、母は体を起こして私を見ました。
「あら、どうしたの? わざわざ来ることないのに...」
母は照れていましたが、もともとやせていた身体がさらに縮んだ気がしました。
少し話しただけでも疲れたようだったので、早々に病室を後にして、廊下で兄と話をしました。
「親父は?」
「ん? ああ、お袋にさえ会ってもらえばいいんだ、とか言って、今日はウジもいるなら安心だって、家にいるよ」
「...まったく、強情だな。俺には頼りたくないってか」
「まあ、そう言うなって」
そんな話をしていたら、兄が思い出したように言いました。
「そう言えば、検査でCTとか撮ったんだけどさ、お袋、肋骨にひびが入ってたんだって」
「え? 足じゃなくて?」
「足の骨折はみんな知ってるさ。ずいぶん古い痕らしいけど、確かにひびが入って治癒した痕跡があるって...お前、知ってるか?」
「肋骨...?」
小学校の頃のある出来事を思い出しました。
その頃、私はあちこち高い所に登りたがるくせがあって(何とかと煙は、というやつでしょう)タンスの引き出しを少しずつ引っ張り出して、階段のようにして登って遊んでいました。
そこを洗濯物を片付けに来た母に「こら、何してるの!」と叱りつけられて、思わずバランスを崩してタンスにしがみついたところ、タンスごと倒れてしまいました。
「きゃあ、危ない!」
そう言いながら、母が助けに入り、私とタンスが母にのしかかるように倒れました。
幸い私は母に抱きとめられことなきを得ましたが、倒れたタンスが母の胸に当たってしまいました。
「ごめんなさい...お母さん、大丈夫?」
声を掛けると、母はすごく痛そうにしていましたが「大丈夫...」と答え、私はたっぷりとお説教を食らいました。
その後タンスを片付けるときも、「いた...」と肩をすくめる様子があったのですが、医者には行きませんでした。
「病院は?」と聞いてみても「大したことないの、気にしないでいいよ」と言いましたが、しばらくの間、何かにつけ顔をしかめることがありました。
私が気にすると思ったのでしょう、私が「大丈夫?」と聞くたびに、「平気、平気」と言ってはぐらかされ、しばらくすると痛む様子も見せなくなり、忘れていました。
今から思えば、あのとき、肋骨にひびが入っていたのではないかと思います。
肋骨の痛みをこらえて日々ふるまっていた母の姿と、今の姿が重なりました。
「辛ければ辛いって言えばいいのにな...」
毒づきながら、涙を隠すのに一苦労しました。
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