<この体験記を書いた人>
ペンネーム:むらまゆ
性別:女
年齢:44
プロフィール:専業主婦です。38年前、母が29歳、私が6歳の時離婚しました。
私は44歳の専業主婦です、19年前に結婚しています。
母は67歳で、38年前に離婚し27年前に再婚しました。
母が離婚してから6年は祖父(2021年に93歳で死去)と祖母(6年前に85歳で死去)と同居していました。
私は、今も声を上げて泣くことができません。
それは両親の離婚後の生活が影響しています。
6歳で祖父母と同居を始めた私は、まだ幼い子どもでした。
怪我をしたときなどは、どうしても声を上げて泣いてしまうことがあります。
ですが、そんなとき祖父は私を厳しく叱りました。
「うるさい! ○○(母の名前)! お前の娘がうるさいから殴ってでも泣き止ませろ!」
そう言われた母は、私を殴りました。
泣く度に祖父はそう怒鳴るので、よく殴られたのを記憶しています。
この暴力は祖父が発端ですが、実際に殴っていたのは母です。
私は母から嫌われていると、ずっと思っていました。
そして、殴られないために、どんな怪我をしてもハンカチや自分の腕を噛みしめたり、唇を噛んだりして、涙だけ流して声を抑えるようになったのです。
このように私は、母からの愛情を感じられないまま大きくなっていきました。
しかし、母は祖父のいうことに従順に従っていただけで、私のことを嫌いだと思っているわけではない、むしろちゃんと愛情を持ってくれていると分かった事件がありました。
私が10歳の頃のある日のことです。
私は、そろばん塾に通う途中で派手に怪我をし、外来で傷口を縫うことになりました。
このとき母は仕事ですぐ病院に来れなかったため、家にいた祖父(当時61)と祖母(当時58)が立ち会いをしてくれました。
数針ですが麻酔なしで縫ったので、私は激痛で声を上げて泣きました。
縫合が終わり、まだ痛みでずきずきしている中、病院に駆けつけた母は泣きながら私を抱きしめてくれました。
「大丈夫? 心配した。泣き声を聞いてこっちまで泣いてしまったよ。でも大きく泣いて、我慢して頑張っているんだと思って...」
そう優しく語りかけてくれたのです。
いつも殴る母の優しい一面に驚いたことを覚えています。
そのとき、立ち会っていたはずの祖父母はすでにいませんでした。
帰宅すると、すでに家にいた祖父からは、「あんな大したことない怪我であんなに泣いて。周りの人に恥ずかしいから先に帰ったよ」と冷たく当たられました。
母が私を殴っていたのは、祖父の言うことに逆らえないからなんだとそのとき気づいたのです。
母は、祖父から酷い虐待を受け育ったと聞いていました。
母も私も、同じく祖父の被害者だったのです。
祖父が2021年4月末に亡くなったとき、このことを思い出して涙が出てきました。
すると自然に布団を噛みしめていました。
「ああ。私は今でも声を上げて泣くことができないんだ」
と悲しくなりました。
声を上げて泣くのをやめて早38年、今私は優しい家族を持ち幸せに暮らしています。
いつか、本当に悲しいときは声を上げて泣けるようになったらいいなと思っています。
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