<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ころん
性別:女
年齢:51
プロフィール:自分に結婚は向いてないと高校で自覚。身体の弱さと戦いつつも、自由気ままにソロ生活を楽しむ。
25年前の話です。
私の父は転勤族でした。
何回も転校をしたのですが、ある高校で出会った友人Aとは卒業後も連絡を取り合っていました。
その頃のAは地元のタウン誌でライターデビューしたばかり。
でも、ある日を境に縁が切れてしまいます。
当時、私は辛いことが続いていました。
母が病気になり入院、手術、さらに自分の仕事もトラブル続きの中で、人生初の大失恋を経験。
相手は自分からとても好きになった人でした。
泣いてないのは仕事中だけというくらい、自分でもびっくりする程ずーっと泣いていたくらいショックでした。
少し心に区切りが付いた時、Aには電話で打ち明けていました。
そして久しぶりにご飯でも食べようと、仲がよかったAを含む高校の友人たち4人と短い旅行に出ました。
数年ぶりに会いましたが、いつも一緒にいた4人だったので、高校の話をしつつ近況なども報告し合い、楽しい食事をしていました。
そんな時に、私が信頼して全てを話していたAが口を開きました。
「あっ、あなたの失恋話、ネタに使わせてもらった!『私の不幸自慢』ってコーナーで男に振られ、母は手術とか。出来上がったら送るね~!」
何の悪気もないカラリとした声でそう言ったのです。
怒りでとっさに声が出ませんでしたが、これはさすがに許せませんでした。
「私の話のどこが自慢なの?」
私の声で怒っていることに気がついたらしいAは、慌てて弁解してきます。
「ほら、ここまで悲劇が重なるのって珍しいから面白いしさ」
「面白い? 母になんかあったらどうしよう...って心配して、スタッフのトラブルをどう後始末するかばっかり考えて、初めて本気で好きになれた人からよくわからない振られ方したんだよ。ちょっとでも現実逃避したかったから来たのに。面白いってまさかネタにされて雑誌に使われるなんて思わなかった。酷いよ」
私は涙が止まりませんでした。
「ちょっとでも元気になってくれればって...」
Aも謝りながら泣き出し、取り残された2人の友人は戸惑うばかり。
結局、号泣する私とAを残りの2人が一生懸命なだめる、後味の悪い食事会になってしまいました。
それ以来、Aには会っていません。
今、この歳になって思えば、彼女はきっと新人で、ネタを探さなくてはならず、そこにちょうどいいのが転がってきた、ラッキー程度だったのでしょう。
また、あまり人の気持ちに敏感な子ではなかったので、悪気はなかったのでしょう。
それでもやっぱり、私も人間がそこまでできていないので、彼女には会う気にはなれません。
もし、今再会したとしたら、Aは何事もなかったように「久しぶり! 元気!?」と言えてしまうタイプなので、余計にダメですね、きっと。
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