こんにちは。中島めめです。
前回は私の母が昔よく通っていた不思議なお店について書きましたが、今回はその続きを書きたいと思います。
前回のエピソード:さみしがり屋の母の息抜きの場所、商店街の"魔窟"の思い出
私が心の中で「魔窟」と呼んでいるそのお店は、家の近くの商店街にあったので、
一時期母の紹介でそのお店でアルバイトさせてもらっていた事がありました。
今思うと洋服を畳んだりちょっと掃除をしたり、たいした事もできないのによく使ってくれたなぁと申し訳ない気がするのですが当時は精一杯やっているつもりでした。
お店に来るお客さんはほとんどが常連さんで、長居してお喋りして行かれるのでそばで洋服を畳んでいる私にも話が全部聞こえてくるのでした。
でもぼーっとしている私の事など誰も気にしていなくてまるで空気のような存在だったんだろうと思います。
話の内容は噂話や愚痴といった感じでしたがみんな臨場感たっぷりに話すので、つい引き込まれてしまっていました。この時かなり大人の世界を垣間見たような気がします...。
母がそのお店で買ったニットのカーディガンを私が借りて着る事もありましたが、今思うと色とりどりでものすごく派手な服だったのになんとも思わず着ていました。
バブル時代だったので周りに派手な服を着ている人が多く、それが普通だと思っていたのかもしれません。
例えば、今は就職活動などには黒や紺のリクルートスーツを着るのが一般的ですが、私が就職した頃はパステルカラーのスーツ(形はもっさりしてました)を着ている人が多かったのです。淡いピンクやブルーのスーツ...今だったら選挙に立候補する人しか着ないような色をみんな普通に着ていました。
その頃私の就職が決まり入社式用のスーツを買おうという話になった時、母がブティックでいいのがないか見てみようと言うので一緒に行きました。
最初はスーツを見ていたのですが気が付くとお店の人や常連のお客さんが私を取り囲み、あれはどう?これはどう?といろいろ見繕ってくれて、最終的になぜかスーツではなく裾がたっぷりしたフレアスカートのワンピースに決まったのです。
初々しくていいねえ!と褒められて、私も色も落ち着いてるしいいかなと気に入っていたのですが今思い返せば周りがパステルカラーのスーツだったにしてもちょっと違和感あったんじゃないかなと思います(今更気にしても仕方ないのですが)。
今ではそのお店もなくなってしまいましたが相変わらず個性的な装いの母なので、またどこかお気に入りのお店を見つけたのかどうか、今度聞いてみようと思います。
最初から読む:奇抜な実母と気さくな義母が子どもに与えてくれるいい影響/中島めめ
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