今日のお話は、我が家が在宅介護を選択した時のお話です。
前回のエピソード:姑と姑妹を在宅介護。両者の「紙オムツ」にまつわる葛藤
同居により、姑(=お義母さん)と姑妹(=おばさん)と 息子夫婦と3人の子どもの7人家族になった我が家ですが、 それまではお義母さん(バツイチ)とおばさん(未婚)の2人暮らしでした。
おばさんは大学を卒業後、幼稚園教諭になりました。 その実績を認められ、園長先生への打診もありましたが「子どもたちと園庭を走っている方がいい」と 定年まで自分のクラスを受け持ち、ハツラツと退職の日を迎えました。
一方、お義母さんは1人息子を連れて実家に戻った後、市役所に就職し市民課ひとすじで 定年まで勤め上げました。
「長い人生、本当にいろいろあった。戦争も高度成長もオイルショックもバブルも全部経験してきた。」 と、2人は口を揃えて言いました。独身女性とシングルマザーが生きていくのに世間の風当たりは強く、今よりもずっと社会参加も難しい時代だったことが想像できます。 どんな苦労も乗り越えてきた2人にとって、晩年こそが人生のごほうびで、穏やかに過ごしていけると 信じていたと思います。
同居後も息子夫婦とは完全2世帯住宅で、心身ともに自立した毎日を送っていました。
退職金を使って2人で高級老人ホームに入所するつもりだったとよく話していました。 結局、老人ホームに入所する夢(?)は果たせませんでしたが 「あなたたちの世話には、ならない」が口癖でした。
しかし...
老いはゆっくりですが確実に進んでいきました。 日々の掃除、洗濯、食事の支度が昔のようにはできなくなってきて、少しずつ嫁(私)が手伝うようになってきました。一緒に住んでいるのだから、これくらい当たり前だと、私も思っていました。それでも、蓄えも持ち家もある2人の老後など、誰も不安には思っていませんでした。
しかしその後、おばさんの痛めていた膝が悪化し、入退院を繰り返すようになりました。
おばさんが両膝人工関節になり、持病のリウマチが悪化した時は施設入所を考えました。
しかし1日も早く退院して、住み慣れた我が家に帰ることがおばさんの一番の望みでした。 そのためなら怖い手術も辛いリハビリも、必死にがんばることができました。もちろんお義母さんも、妹が1日も早く退院して前のように一緒に暮らすことを強く望みました。生まれ育った自宅への思いは、息子夫婦が思う以上に強く、年老いた2人の思いを最優先することで、我が家の在宅介護が始まりました。
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