モラハラDV夫が暴れるたびに家を追い出されていた私。その逃げ場所は.../chii

モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。

いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。

本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。

【前回】「俺を捨てないでくれ」DV夫に懇願されて...夫から逃げる覚悟と準備/chii

【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii

モラハラDV夫が暴れるたびに家を追い出されていた私。その逃げ場所は.../chii pixta_79691006_S.jpg

結婚して23年、ついにDV夫の元から逃げ出すためのアパートを契約したのは7年前の冬のことでした。

今回は、モラハラDV夫の元から脱出するまでに、どこに避難していたのか、私の避難歴史を書きたいと思います。

新婚旅行でモラハラが発覚し愕然としました。

甘い新婚時代なんてものはなく、私は妊娠します。

ハネムーンベビーを授かったのですが、赤ちゃんができたら変わるかもという期待も大きく裏切られました。

お腹に赤ちゃんがいたのに、今度はモラハラだけでなく暴力をふるうようになっていき、私の足はいつもあざができていました。

その時に、逃げ場所にしていたのは実家です。

普段は実家に帰らせてくれなかった夫でしたので、「出ていけ!」と言われれば喜んで実家に帰ったものでした。

実家では母に、足のあざがみつかり、ずいぶん心配かけました。

娘が2歳の時に離婚話が持ち上がり、私は娘を連れて実家に帰りました。

夫は、私の実家に行ったことはなかったのに、その時は離婚のあいさつに行ったのです。

養育費は3万円だすとそこまで話は決まりました。

だけど実家には、私の居場所がなかったのです。

兄夫婦が実家で食堂を共同経営していて、両親もバリバリ働いていました。

2歳の娘と私がいる場所がなくて、だんだんいづらくなってしまったのです。

そこに夫から電話があり、「お願いだから帰ってきてほしい、ご飯がのどを通らない、やり直したい」と、まんまとその言葉にだまされ、私は夫と暮らしていたアパートにもどることにしました。

あの時もっと強い気持ちで離婚していたら、人生は変わっていたかもしれないって、未だに思います。

結局、その後モラハラもDVも続き、夫のDV相談に行くようになり、母子寮の存在を知りました。

さっそく予約をとって見学に行きました。

そこはDV被害者が避難場所として利用でき、生活が落ち着くまでいることができます。

トイレとお風呂は共同だけど、6畳の個室が利用できたのです。

1階は保育園だったので、いますぐにでも逃げてきたいと相談をしました。

そこの寮長さんは、

もうちょっと頑張ってみては?

旦那さんやさしい時もあるんでしょ?

あなたが変わればいいのよと言い、受け入れを許可してはくれなかったのです。

それからもたびたび暴れた夫。

小さな娘を連れて逃げた場所は、友達の家、妹の家でした。

ひと月に1回は追い出され、友達の家、妹の家を転々としていた記憶があります。

1泊か2泊して、アパートに帰ると夫はいつもの優しい夫にもどっている。

そんなことの繰り返しでした。

その後、息子が生まれて、男の子を熱望していた夫は変わってくれるかもしれないなんて期待をしましたが、今度もだめでした。

確かに家族4人で、幸せな時間もあったのですが、夫に怒りのスイッチが入ると、モラハラやDVだけではなく、家を追い出される日々が何年も続きました。

夫の仕事がうまくいっている時代は、生活にも余裕があり、逃げ場所としてビジネスホテルを使っていたこともありました。

子どもたちは、何も知らずに嬉しそうでした。

いつ怒り出すかわからない父親から離れて、ノビノビできる時間でもあったからです。

私はモラハラ被害者特有の共依存にどっぷりとつかっていき、夫は私がいないと生きていけない可哀想な人だと思うことで、自分を保っていたように思います。

娘が18歳で出ていくと、娘が借りたワンルームが逃げ場所になりました。

娘が東京へ引っ越した後は、また逃げ場所がなくなり、私は息子を家に残し、1人で家を出るようになったのですが、その時に泊まったのはネットカフェです。

夜中になると、周りの部屋から男性のイビキが聞こえてきて、私はなんでこんな所にいるんだろう?とみじめな気持ちになったものです。

ネットカフェで1泊して家にもどると夫はおとなしくなっているのです。

いつしかそんな生活にも疲れていきました。

そしてその頃、市の広報誌で知ったのが、女性の家というものです。

そこはDVやモラハラの被害者たちが一時的に、心と身体を休める場所でした。

一泊1000円で、お風呂とトイレがついた2Kの部屋に泊まることができたのです。

そこを利用するようになった頃、息子は中学生になっていました。

一部屋を使うことに嬉しそうだった息子。

そして私も、けっしてキレイとは言えない古いアパートでしたが、心身ともにゆっくりできました。

予約がとれないこともたびたびあったので、逃げ場所のないDV被害者たちは、意外にたくさんいるのかもと思いました。

こんなアパートで、息子と2人で暮らしたいと思ったことも、私が逃げる決心をした理由の一つでもあります。

その後、とにかく逃げ場所が欲しくて、とにかくゆっくり眠れる場所が欲しくて借りたのはアパートのワンルーム。

ところが、そこも私と息子にとって安心して暮らせる場所ではなかったのです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、7年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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