モラハラDV夫との異常な結婚生活を振り返っています。
いろんなことを乗り越えて、今やっと平穏な暮らしを取り戻すことができました。
本当に波乱万丈な結婚生活だったのですが、その中でも忘れられない出来事を書いていこうと思います。
【前回】「お子さんのために逃げる勇気をもってください」DV夫から離れる覚悟を決めた一言/chii
【最初から読む】モラハラ結婚生活から熟年別居に至るまで。新婚旅行先のハワイで夫は豹変した/chii
私の人生の最大の断捨離は夫を捨てたこと。
新婚旅行先でモラハラを知ってから、何度も何度も別れようと思いました。
すぐに別れなかったのはやはり子どもたちのため、どんな父親だとしても両親の離婚は嫌だったんですね。
「お母さん我慢して」と何度も懇願されてきました。
そして我慢我慢の日を抜け出す日は突然やってきました。
息子が中3の時です。
夫が高校受験の邪魔をし、そして暴れて警察沙汰になりました。
そして息子からもう逃げよう、俺も連れて行ってくれの言葉。
これで気持ちが固まったはず、それなのに、私の気持ちは揺れに揺れたのです。
その頃、私たちがいなくなるのを察したのか、夫は何度も「俺を捨てないでくれ」と懇願してきました。
いつも高飛車だった夫の変わりように心は大きく揺れました。
夫の悲しい目を見て、可哀想だ、できない、やっぱり我慢しよう、ここにいようという気持ちになってしまうのでした。
それは、後で気が付いたのですが、夫婦間の愛情ではなく、愛がなくなっても情だけは残っていたのです。
23年も一緒にいたのですから、その情というものを切り捨てるのが大変な作業でした。
夫を見捨てることなんて、私にはできないって何度も思いました。
気持ちが揺れていたある日、また夫はリモコンを壊しました。
リモコンを机にバンバンたたきつけて、その行為はリモコンが壊れるまで続きます。
リモコンは過去に6個ほど壊したと思います。
娘の大事にしていたドライヤーも、息子が大事にしていたゲーム機も、破壊するまでたたきつけた夫を思い出しました。
その時に、子どもたちの心も壊していたかもしれません。
機嫌がわるくなると物を壊す、それでも怒りが収まらなければ家族にむかってくる、これはもう治らないのだ、もうだめだと悟った翌日、アパートの契約に行きました。
10万円ほどの手付金を支払ってもまだ心は揺れていました。
それほど、過去の暮らしや生き方を捨てるには大きな決断が必要でした。
たとえモラハラやDVがひどくてもそこで暮らした年月を思い出し、それらを手放すのにとても勇気がいりました。
結果的に、断捨離していろんなものを手放さなかったら、新しい風は吹いてこないし、新しい生き方はできないのだってすごく感じました。
生き方にしろ、ものにしろ、手放す勇気が必要な時がある。
そしてそれは時というもの、つまりタイミングですね、うまくいく時期があるようです。
最初に借りたのは、元我が家から徒歩15分くらいのアパートで、家賃は40,000円ほどでした。
私の心の中には、まだ遠い所に逃げようという気持ちはなく、とりあえず夫から避難する場所が欲しくて近場を借りました。
殴られたり、暴言を吐かれたり、追い出された時に、私はいつもネットカフェに逃げていたからです。
いつ追い出されるかわからない毎日で、自分の居場所が欲しかったのです。
ワンルームの契約を終了し、私と息子は夫のいない昼間に、コソコソと物を運びました。
自転車と徒歩でです。
持てるものは限られていましたけど。
最初にカーテンと布団二組を買いました。
布団は掛布団、敷布団、枕のセットで一番安い10,000円くらいのものだったと思います。
テレビだけは買ってほしいという息子の願いで、中古のテレビをオークションで買いました。
ちなみに、5,000円で買った中古のテレビは、私が現在1人で住んでいるワンルームにまだあります。
もういつ追い出されても大丈夫だという状況に、少しづつ部屋を整えていきました。
そして夫から逃げる日は、ある日突然やってきました。
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