親の遺産を独り占めして身内の縁を全て失った夫。挙げ句の果ての孤独なゴミ屋敷生活/chii

モラハラDV夫の元から逃げて10年目の60代シングルです。

ちなみに離婚は成立しておらず、熟年別居中です。

【前回】お金に執着し続け、家族を蔑ろにしてきた夫。老後を迎えて最後に手元に残ったものは

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先月、また元わが家の近所の方から、クレームの電話がかかってきました。

ゴミ屋敷のようになってしまった元わが家、庭の木も伸び放題で、目の前の電線を覆っていると言う話でした。

いつ火事になるか、気が気ではない、旦那さんに直接言うのは、怖いから、奥さんであるあなたから、木を切るようにお願いをしてと言われました。

何かあったら、あなたの責任でもあるという言葉を重く受け取りました。

すぐに夫に電話して、電力会社と連絡をとって木を切ってもらうように話したのですが、その後はまた音信不通です。

隣の奥さんも、全く何も言ってこなくなりました。

ちゃんと木を切ったのだろうか。

私の夫は、お金を何よりも愛した人でした。

お金というより、土地、家屋等、親から受け継いだすべての財産を守るために生きているのです。

夫には二歳下の妹がいて、近所に住んでいるのですが、妹家族とも縁がきれています。

理由は、遺産を一銭もあげなかったからです。

義父が肝臓がんになり余命宣告を受けてから、公証役場に連れて行き、遺言書を書かせたのです。

長男である夫にすべての財産を譲ると書きました。

義父は、夫と20年近く二人で暮らしていて、絆が深かったのか、夫にすべてを譲ることに関して、異論はなかったようです。

義理の妹は、実家とは疎遠になっていたものの、父親が余命宣告を受けてからは、看病に病院に通っていました。

嫁である私と、義妹と、一日おきに、義父に付き添っていたのです。

義父の意識がなくなり、昏睡状態になった時、妹夫婦が、その枕元で遺産の話をしているのを聞いてしまいました。

「いくら持っているんだろうね」

「最低500万円はあるんじゃない?」

なんていう会話です。

この人たち遺産が欲しいから、手のひらを返したように、義父の看病にきていたのだと、私はその時に気が付きました。

しまいには、義父の枕元で兄妹喧嘩もしていました。

意識はなくても、耳は聞こえていると言います、お義父さん悲しかっただろうにと思います。

義父が亡くなり、お通夜お葬式までは、夫と妹夫婦は、表面上は仲良くしていたのですが、その態度が変わったのは四十九日からです。

妹夫婦は、四十九日の法要の後、遺産の話があると思っていたようです。

妹は、ダイニングテーブルが欲しい、冷蔵庫が欲しいといろいろと要求してきました。

ところが、夫は遺言状を見せて、おまえには何もやらないと言い放ったのです。

具合悪くなったら、親父の所へ来ていたけれど、なんで、元気な時、来なかったんだ? 今更子ども面するなと。

妹夫婦は、青い顔をして帰っていきました。

それからプツンと、妹夫婦との縁がきれたのです。

法律のことはよくわかりませんが、通常は、二人の子どもが半分ずつ相続するのではないでしょうか。

妻である私も、義父がいくら遺産を残して逝ったのかは、まったくわかりません。

遺産を独り占めした夫は、今、一人寂しくゴミ屋敷に住んでいます。

子どもたちからも忘れ去られ、身内とは縁を切り、天涯孤独そのものです。

義父が遺していった貯金は、もう底をついていると思います。

71歳で年金もない夫、最後は家を売るしか、生き延びる方法はないと思います。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

chii

モラハラDV夫の家を飛び出し、10年目のchiiと申します。離婚には応じてもらえずに、現在も熟年別居中です。つい最近、共に暮らしていた大学生の息子が自立をして一人暮らしになりました。某スーパーでサービスカウンターの仕事をしています。パートなので生活は楽ではありませんが、結婚生活が地獄だったからこそ、現在の一人の時間に幸せを感じています。別居直後から書き出した「60代小さく暮らす」お一人様の老後がテーマの「お茶のいっぷく」を書いています。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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