<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ウジさん
性別:男性
年齢:60
プロフィール:実家を離れ、地方都市で公務員をしている60歳男性です。学生の頃は帰省するのが大きな楽しみでした。
私は東北にある大学に進学して、実家を離れました。
生まれて初めての一人暮らしにウキウキしたのも最初の1カ月だけ。
食事も洗濯も全て自分でやらなければならない生活は想像以上に大変で、夏休みに初めて帰省したときは、つくづく実家っていいなあ、と実感したものでした。
大学最初の年の暮れですから、40年ほど前の話です。
「おや、雪だ、ホワイトクリスマスになるかな?」
クリスマスの前日、大学の仲間と忘年会の真似事をしていました。
別れる際に降り出した雪にロマンチックな気分になっていましたが、蓋を開けると記録的な大雪でした。
「いやあ、停電だよ、こたつしかないのに参ったなあ...」
下宿先のストーブは共用のものしかなく、部屋は凍りつくように冷え込んでいました。
そのまま過ごすのはなんとも心細く、予定よりは少し早かったのですが帰省することにしました。
駅まで行こうにもバスは止まり、タクシーは乗車拒否で、膝上まである雪を踏みながらの強行でした。
駅に行ってみると、午後3時に出発予定だった特急電車が積雪でまだ出発できずホームにいます。
「いつ動くかわからないけど乗ってみますか? 暖房だけは入ってるんで」
駅員さんに言われて乗車することにしました。
「あ、特急料金はいりません。もう払い戻し決定なので」
2時間以上の遅延はすでに決定的でしたから、乗車賃だけで乗り込みました。
車内には結構な人がいました。
「諦めて待ち続ける決心をした、言わば同志ってとこだな...」
そのまま待つこと1時間強、結局定刻から4時間遅れての発車となりました。
しかし、この特急電車は停車するたびに長時間動かなくなりました。
その先の除雪作業を待っているという車内アナウンスに、降り続ける雪を恨めしく見つめるしかありません。
少し大きな駅に停まった際にはすでに真夜中、さすがに空腹でした。
すると、国鉄(当時はまだJRではありません)からパンの配給があり、気の利いたことをするなあ、と感心しました。
関東地方に入るとさすがに雪は少なくなり、予定外の停車をすることはなく順調に走り出しました。
それでも上野駅についたのは午前3時、発車してから8時間、通常の倍近い時間となっていました。
今なら新幹線で2時間ですから、まるでSL時代のようでした。
国鉄のはからいで、一回りだけ臨時の山手線が動くと言うので、私鉄に乗り換える駅まで移動しました。
しかし、まだ午前4時前で電車は動いていません。
やむなくタクシーを拾って自宅まで向かいました。
「ただいまー、ごめん、タクシー代、払ってくださいぃ...」
午前4時半に突然帰ってきた息子に叩き起こされた上、1万円を超えるタクシー料金を支払う羽目になった母(当時40代後半)は...。
「あと1時間も待ってれば始発が動いたでしょうに...」
呆れていました。
「え? あ、そうか...駅で少し休んでりゃよかったのか...申し訳ないですぅ...」
そんなことも思いつかないほど疲労困憊で、とにかく早く家に帰りたかったのだと思います。
文字通り「這々(ほうほう)の体」で2階の自室にたどり着き、布団に倒れ込み、泥のように眠りました。
前日に下宿先を出てから14時間ほどかかっていました。
我が人生史に残る一大帰省でした。
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