皆の命が、かけがえのない無上のものだと教えてくれる言葉
――「天上天下唯我独尊」と聞くと、ヤンキーや暴走族を連想してしまいますよね。そのせいか「俺が一番!」と自分を誇示していると思ってしまいますが、この言葉の本当の意味は何でしょう?
近藤丸 「天上天下唯我独尊」という言葉は、『誕生偈(たんじょうげ)』と呼ばれます。現代では傲慢で尊大な言葉として、ときに揶揄されるような形で一般に広く用いられていますね。しかし、このような理解・用法は『誕生偈』の正しい理解・用法ではありません。
「天上天下唯我独尊」という言葉は、いくつかのお経に出てきます。例えば、『修行本起経』には「天上天下唯我独尊、三界皆苦吾当安之(世界は皆苦なり、 吾まさにこれを安ずべし)」とあります。つまり、「この世では皆が苦しんでいる。私は必ず悟りを開いて、皆の苦しみを抜くような者に成りたい」という意味ですね。
――もう少し分かりやすく解説をお願いします。
近藤丸 この言葉は、まずは、お釈迦様が大切な事に目覚めるようなものに成る、そして衆生を救済するようなものに成ろうという、自己の尊さを述べた言葉です。しかし、近・現代になるとこの言葉は、もう少し広い意味を汲んで解釈されるようになり、「あらゆるものから尊いと尊敬される生き方に目覚めたという意味で尊い」という表現であるとか、「天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いということの発見」の言葉であると解釈されるようになっていきます」
――自分を誇示する言葉だと勘違いしている人が多いですが、お釈迦様の覚悟が込められた言葉だったのですね。「誰とも代わることのできない人間」という言葉に、漫画に登場するヤンキー君が惹かれるのも理解できます。
近藤丸 でもね、「天上天下唯我独尊」にはさまざまな解釈があり、漫画で描いたのは、あくまでそのうちの一つなんです。近年、仏教系の学校の教科書の多くや入門書では、「天上天下唯我独尊」は「自己のいのちの尊さの発見」の言葉とされています。また、その自己は他の多くのものとのつながりの上に生かされているため、自己だけではなく、他者の尊さに目覚めることの大切さも教えていると、解釈されます。
――「自己のいのちの尊さの発見」、そう考えると、「天上天下唯我独尊」がいかに深い意味を持った言葉か分かりますね。
近藤丸 念のため注意しておきたいのは『誕生偈』の解釈はさまざまあり、この『ヤンキーと住職』で述べられているのも、解釈のうちの一つだということです。なお、解釈についてはさまざまな議論があります。この辺りのことについては仏教学者である西義人先生が、『「天上天下唯我独尊」をどう説明するかー本願寺派における「いのちは尊い」説の定着に関してー』(龍谷教学会議編『龍谷教学』第51号)や、『近代における「天上天下唯我独尊」の説示』(日本佛教学会編『仏教と日本』第1巻)などの論文に詳しく書いて下さっています。興味のある人は参考にして下さい。