親の"自慢話"へのすり替え
たとえば子ども側が自分の悩みを親に相談したとします。
そのときに「お父さんの時代はもっと大変だったんだ」と親の体験談を披露し、子どもにも同じような苦労をすべきだと説いたとしたら、それは本当に子どものことを思っての言動ではありません。
これは、親のただの"自慢話"です。
「こんな苦労も乗り越えて成功したんだ」と披露しているだけであり、子どものことを考えてもいなければ、子どもの話を聞いてもいません。
親自身は自分がした経験が正しいと思っているため、子どもに「正しいことを教えてあげている」と思い込んでおり、子どもの話を自分の自慢話にすり替えたことに気づいてもいません。
このような場合は、余裕があれば付き合ってあげてもいいかもしれません。けれど、このようなことを言われて不快になったときには、「話題泥棒」と心の中で思って、そもそもの相談の話は続けようとせず、話題を変えたほうがさらなるストレスを負わずに済むでしょう。
上に向けるべき怒りからの"嫉妬"
自分と同じ苦労をさせようとするとき、それは"嫉妬心"からであると捉えられることがあります。
わかりやすい例として、結婚の勧めを挙げましょう。
「結婚は忍耐」「お母さんなんて家政婦みたい」などと、結婚に対するネガティブな感情をたくさん話していながら、子どもには「早く結婚しなさい」と自分と同じ道を歩ませようとする親がいます。
「結婚なんてしなきゃよかった」と言っていたのに、どうして子どもに勧めるのでしょう?
その中には、「愚痴を言いながらも、結婚したことによって良いことがたくさんあった」というような、ポジティブな意味での勧めもあると思います。
一方で、"自分と同じ苦労をすべきだ"という歪んだ感情が存在することも稀ではありません。これは"嫉妬"と捉えることができます。「自分より幸せになってほしくない」という嫉妬です。