毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今週は「主人公の最後の冒険」について。あなたはどのように観ましたか?
※本記事にはネタバレが含まれています。
【先週】作り手の「本気」が伝わる震災描写...最小限の表現で描いた「混乱」と「おぞましい事実」
長田育恵作・神木隆之介主演のNHK連続テレビ小説『らんまん』は、毎週植物の名前をサブタイトルに冠し、人の営みと結びつけて、植物図鑑のページを綴るように積み重ねてきた。そんな本作の最終週である第26週は「スエコザサ」。
悲しい別れを覚悟していたが、予想だにしない驚きの展開が描かれる。
舞台は昭和33年へとび、語りの宮﨑あおいが登場。出演自体を予想した人は多数いただろうが、唸らされたのは、その人物設定だ。
藤平紀子(宮﨑)という女性がアルバイトで訪ねた先は、万太郎の末娘・千鶴が1人住む家だった。
中高年になった千鶴として登場したのは、万太郎の祖母・タキを演じた松坂慶子。こうして見ると、千鶴を本田望結が演じたのは、後に松坂慶子になることが決まっていての逆算だったのではないか。タキとはまた違い、本田望結とよく似た、両親にたっぷり愛情を注がれて育ったであろう、おっとりふんわりの千鶴がそこにいた。
千鶴の依頼は、万太郎の遺した40万点の標本を都立大におさめるにあたり、整理して欲しいというもの。採集地ごとの束をバラバラにして学名ごとに並べる仕事だが、万太郎本人のものと各地から送られてきたものを日記と照らし合わせながら分ける必要があると言う。
ただの片付けのつもりだった紀子は、仕事の重大さを知り、いったん辞退してその場を去るが、思い直して引き返す。これら標本が関東大震災や空襲の中でも家族に守られてきたことに気づき、次の人に渡す手伝いをしたいという思いに至ったためだ。
そこから、標本を整理するため、万太郎の行動録を作る。つまり、『らんまん』は後の時代の紀子が整理し、記録し、語る物語だったのだ。
単なる話題狙いのサプライズゲストではなく、ロマンを感じる物語を織り込むところが、さすがの長田脚本である。
そして、後の世からは「偉大な学者」に見えている天才・万太郎を主人公に据えた本当の意味も見えてくる。
時代は戻り、槙野家に波多野(前原滉)と藤丸(前原瑞樹)がやって来る。波多野は、大学や大学院を卒業していなくとも、論文と学識が同等と認められれば博士になれると言い、名誉教授となっている徳永(田中哲司)と自分の推薦により、理学博士になるよう万太郎に勧める。
まだ成し遂げていないと固辞する万太郎の心を動かしたのは、波多野の言葉。
「傲慢だよ。槙野万太郎は自分の意思でここまで来たと思ってるでしょ。槙野万太郎がここにいるのは、時代なのか摂理なのか、そういうものに呼ばれてここにいるんだ」
そして「賞賛と引き換えに学問に貢献する立場と義務を」と言い、万太郎の背中を押す。
ずっと天才で、ずっと特別だと思っていた万太郎も、長い歴史の中では自分の背負う使命を全うし、次の時代に渡して行く1人に過ぎないということ。思えば、主人公はそれぞれの人生を咲かせた1人1人、そして時代の流れそのものなのかもしれない。
そして、そんな万太郎に成し遂げてからでは遅い、理学博士になったら図鑑が売れる、大増刷だと言い、決定打を放ったのは、さすがの商売人・寿恵子だ。
寿恵子の病状が進行し、命の灯が消えようとする中、万太郎は図鑑の制作を急ピッチで進める。野宮(亀田佳明)に植物画を、虎鉄(濱田龍臣)に解説文を、藤丸には菌類担当を、波多野の紹介による大学院生たちには校正を、そして佑一郎(中村蒼)には索引作りをお願いするのだ。
たった1人で植物採集から研究、論文、新種発表を全てやってきた万太郎が、ここに来て初めて周りを頼る。時代と摂理に呼ばれ、周りの人々の支えと導きによってここまで来た万太郎。
シェイクスピア全集を出したばかりの丈之助(山脇辰哉)も巻き込まれ、「戯言」として自らの退職金と死後の全財産・印税を早稲田に寄贈し、演劇博物館を作る夢を語り出す。かねて坪内逍遥がモデルと目されてきたが、早稲田演劇のルーツを思わせる展開だ。
さらに綾(佐久間由衣)と竹雄も訪ねてきて、新しい酒「輝峯」の完成をみんなで祝う。
万太郎の図鑑もいよいよ完成。謝辞には、植物学教室の面々や万太郎の家族、亡き娘・園子の名前も記されていた。
最初のページには母の好きだった花・バイカオウレンが、そして最後のページには万太郎が見つけた新種、ササ・スエコアナ(スエコザサ)が。
寿恵子は言う。「また草花に会いに行ってくださいね。そこに私はいますから。草花と一緒に、私もそこで待ってますから」
雑草という名の植物はないーー1人1人が自分の花を咲かせ、次の人々に渡して行く物語は、こうして私たち視聴者に引き継がれ、これからもずっと続いていくことを感じさせる素晴らしい最終週だった。