【風、薫る】バーンズ流「教えない教育」の真意。りん(見上愛)と多江(生田絵梨花)が大きな壁を乗り越えた瞬間

毎日の生活にドキドキやわくわく、そしてホロリなど様々な感情を届けてくれるNHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)。毎日が発見ネットではエンタメライターの田幸和歌子さんに、楽しみ方や豆知識を語っていただく連載をお届けしています。今回は「看護とは」について。あなたはどのように観ましたか?

【前回】140年後の現代に響く「社会」への問い。りん(見上愛)と直美(上坂樹里)が選んだ、偽らない生き方

※本記事にはネタバレが含まれています。

【風、薫る】バーンズ流「教えない教育」の真意。りん(見上愛)と多江(生田絵梨花)が大きな壁を乗り越えた瞬間 pixta_134119022_M.jpg

田中ひかる著『明治のナイチンゲール大関和物語』(中央公論新社)を原案とするオリジナル作品で、見上愛、上坂樹里がW主演を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』の第6週「天泣の教室」が放送された。

今週のテーマは、看護とは何か――。日本にまだ概念のなかった「看護」をこの風土に根付かせていく過程を描くのは、朝ドラとして前例のない試みだ。制作統括の松園武大によれば、当時の教育課程の資料は残っていても、授業がどう行われ、教師がどう指導したかの記録は残っていないという。その空白に登場するのが、ナイチンゲールの看護教育を受けたスコットランド人教師バーンズ(エマ・ハワード)の、「説明しない」教育である。

バーンズが命じるのは、教員宿舎全室のシーツ交換、校内の掃除と換気、自分の手で縫うエプロン。何度繰り返しても返ってくるのは「This is not nursing(これは看護ではありません)」。理由は告げられず、自分で考えなさい、と突き放されるのみ。納得のいかない生徒たちは「天の使いじゃなく、天狗」「ナイチン地獄」「小姑みたい」と陰口で結束していく。

1カ月続けてようやく「Now that's nursing」が出るが、バーンズはそこで止まらない。「皆さん自身が不潔です」――朝ドラのみならず、テレビの連ドラで若い女性たちが「不潔」呼ばわりされるシーンなど前代未聞だろう。当時の日本髪は油で固めるもので、洗髪は教師の松井エイ(玄理)も含めて月1回程度。日本髪をやめて洋髪にせよ、というのである。しびれを切らした多江(生田絵梨花)が、これのどこが看護か、と反論すると、バーンズは答える。「A nurse is not a doctor. We do not treat(看護婦は医者ではありません。治療はしません)」

シーツを清潔に整え、空気を入れ替え、ホコリを取り、洋髪にし、自分で縫ったエプロンで身を清く保つ――どれも、患者が心地よく過ごし、回復しやすい環境をつくるための行為だ。治療しない看護とは、この「環境を整える」こと、「清潔・衛生を保つこと」の蓄積にほかならない。地味で意味不明に映るその反復こそが、看護の中身である。

それと両輪をなすのが「observe(観察)」だ。説明しないのは、考えさせるため。考えるとは、目を、耳を、五感を研ぎ澄ませて、患者の状態やわずかな変化、言葉にならない要求に気づくこと。実際、トメ(原嶋凛)はバーンズが怖くて足音を気にしているうちに遠くの音まで聞こえるようになったと口にする。叱責への怯えが感覚の鋭さに反転している。環境を整える手と、患者を観察する目――この二つを一体に仕込んでいくのが、バーンズの教育である。

しかし、一向に手応えが得られないなか、特に大きな壁にぶつかるのが、りん(見上愛)と多江だ。コロリ患者の着替えを想定した模擬授業で、4年前にコロリで父を失ったりんは、咳き込む患者役のトメの顔をのぞきこみ、背を肉親に接するようにさすってしまう。バーンズは「家族をコレラで亡くしていますね」と見抜き、感染の危険、患者は家族ではない、あなたは看護婦になるんですよ、と厳しく叱責する。涙をためたりんは絞り出す。「教えてください、私、看護婦を見たことがないんです。ここにいる誰も。何が看護で、何が看護じゃないのか」――それでもバーンズは、自分で考えなさい、としか言わない。

その夜、二人きりになった直美はりんを諭す。自分の親を看病するみたいに看護してたら、りんさん、きっとすぐ死んじゃうよ、と。環ちゃん(娘)にもそう看病してほしい? 私は家族がいないからあなたよりこの仕事長く続けられるかも――。患者を家族のように扱う手は感染を呼び込み、自分を倒し、その先の患者を救えなくする。直美の言葉が、りんの傷をほどきながら、その理屈を伝える。

翌日、りんは患者役の直美と距離を保ち、清潔を徹底する。バーンズはようやく「Now that's nursing」と告げ、こう続ける。「あなたたちの手は家族の数百数千倍の人を助ける手なんです」、看護婦になればあなたと同じ思いをする人を減らせる、と。家族を救えなかった一人の手が、何百、何千の人を救う手になる――そのスケールを知って、りんは「もしそんなことができんなら、私にとってこれ以上向いてる仕事はないかもしれません」と応じる。

一方、多江は休日に実家の医院に帰省し、医師の父・仙太郎(吉岡睦雄)から、看護は嫁入り修業の一部、跡取り娘なのだから今すぐ辞めて婿をもらえと告げられる。本心は医者になりたかった多江は、女が医術試験を受けられるようになると猛勉強もしてきた。その意志は認められないまま、寮に戻った多江は発熱で倒れ声を失う。見舞いに来る仲間たちは、喉が痛いのに具だくさんのスープを運んでみたり、換気のためにと窓を全開にしてみたりと、良かれと思ってやることが裏目に出る。横たわる多江は、シーツのしわや喉の渇きが気になる自分に気づく。「観察される側」になって初めて、シーツ一枚、窓の開け方一つが患者の心地よさを左右することが腑に落ちる。

回復した多江を、仙太郎は退学させると校長に告げに来る。「看護婦なんて」と繰り返す父に、多江は「ドクター、患者の気持ちを考えてください」と遮って言い切る。「病に苦しむ患者を近くで観察して、シーツを替え、窓を開けて換気をして、回復する環境を整えて、水を飲ませ、ときに手を握って側にいることは医者なんかにやらせてあげられない仕事です。看護婦として働くことを認めてくれない人とは結婚しません!」――観察し、環境を整え、傍らに居る。バーンズが説明せずに通してきた要素のすべてが、多江の口から看護の定義として一息に結ばれる。「医者」の道を性別ゆえに阻まれてきた多江にとって、これは医師の下に看護婦を置く価値観を、自分の中から押し返す宣言である。

もう一つ見逃せないのは、ばらばらだった7人が「看護」を介して仲間になり、対等になっていくことだ。寮の座り位置や荷物の置き場には、子爵の娘、奥医師の家、呉服屋の四女、青森の農家の末っ子......といった出自の差が、自然と隅と中央のかたちで現れていた。それが共通の学びを通して、少しずつほどけていく。りんが叱責された夜、仲間たちは芋の煮っころがしを順にりんに渡して慰める。最初に手渡すのは、最年少ながらムードメーカーで周りがよく見えるトメ。次いで、最年長で穏やかな喜代(菊池亜希子)、優等生気質の多江、ナース服に憧れて入学した呉服屋の四女・しのぶ(木越明)。ナイチンゲール憧れの子爵令嬢・ゆき(中井友望)が自分もあげるべきか戸惑っていると、そんなにあっても食べきれないだろうと笑って自分の口に運ぶ直美。この1シーンだけで7人それぞれの個性が見えるし、すでに視聴者は予想との答え合わせができてしまうくらいに7人を理解しつつあるのではないか。

週の終盤、半年後にバーンズは流暢な日本語を披露し、生徒たちを驚かせる。「天狗」も「ナイチン地獄」もすべてお見通しだったのだ。説明できる相手にあえて説明しなかったのは、生徒たち自身に、看護を手と目、耳、全身で掴ませるためだった。

医師が上、看護はそのサポートで下、という印象を持つ人はいまだに少なくない。だが、領域はそもそも別物で、患者と過ごす時間は看護師のほうが圧倒的に長い。多江の「医者なんかにやらせてあげられない仕事」という言葉は、140年後の現在まで届き、看護師不足が深刻化する状況下でさらに重みを増している。

文/田幸和歌子

 

田幸和歌子(たこう・わかこ)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告制作会社を経て、フリーランスのライターに。ドラマコラムをweb媒体などで執筆するほか、週刊誌や月刊誌、夕刊紙などで医療、芸能、教育関係の取材や著名人インタビューなどを行う。Yahoo!のエンタメ公式コメンテーター。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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