面接は、反物の前での「目利き」試験。91歳の呉服店主が今も忘れない、先代店主との出会い

『九十一歳、銀座きもの語り』 (村田 あき子, 西端 真矢 /KADOKAWA)第5回【全7回】

銀座で200年の歴史を紡いできた、小さな呉服店。その暖簾(のれん)を守り、90歳を過ぎてもなお、凛として店に立ち続けたひとりの女性がいます。それが「染織工芸 むら田」の店主・村田あき子さん。きものと共に歩んで70年、店主として30年。本書『九十一歳、銀座きもの語り』(KADOKAWA)は、村田さんが銀座の街で見つめてきた「きものと手仕事」、そして家族との愛おしい日々を綴った一冊です。人生の後半戦をいかに豊かに、美しく過ごすか――。そのヒントが、彼女のたおやかな語り口の中に溢れています。今回は本書の中から、きものに導かれた美しき人生の記憶を、抜粋してご紹介します。

※本記事は村田 あき子 (著), 西端 真矢 (著)による書籍『九十一歳、銀座きもの語り』から一部抜粋・編集しました。

店主助手として

面接の日のことは、今でもよく覚えています。私は店の二階にある和室に通され、しばらく後に店主が入って来ました。私の人生にはかり知れない影響を与えた人、「むら田」五代目店主、村田吉茂です。

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反物を広げ商談をする吉茂(左)

ふだん私は吉茂についてお客様とお話しする時、"先代"と呼んでいますから、この本でも同じように通したいと思います。先代は当時の人としては背が高く、痩せて目に強い力を持った人でした。きびきびした話し方はいかにも代々銀座育ちの江戸っ子風で、履歴書に目を通すと私の前にするすると反物を広げ、更にその上に帯の反物を載せて、この組み合わせをどう思うか、こちらはどうかと矢継ぎ早に質問を投げかけて来ました。私は「少しちぐはぐだと思います。青系の帯の方が良いかも知れません」「とても良く合っていると思います」などと答え、それが要するに採用試験でした。私は合格となったのです。

こうして働き始めたむら田での私の役割は"店主助手"と呼ぶのが最もふさわしいと思います。店には仕事の全体を差配する番頭さん、お客様の応対を担当する営業社員、経理、それから、お仕立てや染み抜きなど細々としたお手入れの全般を担当する社員もいて、営業の一人である先代の次男、村田悳次(とくじ)は後に私の夫となる人ですが、もちろん当時はそんなことを知る由もありません。

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左から妻美代、息子悳次、吉茂。箱根強羅ホテル。1938年頃

私の最も大切な仕事の一つは、先代とお客様の会話から情報を拾い、詳細に記録することでした。常に先代の傍らに控え、十五×二十センチほどの厚手のカードにあらゆることを書き込みました。色や模様のお好み、お召しになるのはどのような機会か、ご夫君の職業、お稽古事の種類などなど。そしてお買い上げ頂いた場合には、いつ、どのようなきものをお納めしたのかを正確に記録に残しました。これらの情報がすべて次のお召し物をお薦めするときの助けとなりました。

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義父吉茂と打ち合わせをするあき子(左)。1960年頃

仕入れのために問屋さんへ行く際にも私は同行して、時には意見を聞かれ、一緒に選品をすることもありました。また、むら田ではお客様のご要望に合わせて、特によそゆきのきものについて一から図案を起こす"誂え"の注文が大変多く、その際の職人さんとのやり取りにも同席しました。そもそも誂えのためには"白生地"と呼ばれる白色の無地の反物を、それもさまざまな地風のものを揃えて用途や表現に合わせて使い分ける必要がありますが、私は次第にその白生地の仕入れも任されるようになりました。呉服店の商売の要、美しく良い品を店に十分に揃えておくためのいろはを、こうして私は先代について学んでいったのです。

 
※本記事は村田 あき子 (著), 西端 真矢 (著)による書籍『九十一歳、銀座きもの語り』から一部抜粋・編集しました。
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