ハロー!プロジェクト楽曲やテレビアニメ主題歌の作詞家として知られる児玉雨子氏。2023年、芥川龍之介賞候補作にノミネートされるなど小説家としても注目される彼女が、独自の視点で江戸文芸の世界を大胆に読み解く書籍が『江戸POP道中文字栗毛』です。編集を繰り返す松尾芭蕉の俳諧、流行語連発の『金々先生栄花夢』、江戸時代の銭湯スタイルを実況する『諢話浮世風呂』など、様々な文学作品から当時の流行りや生活を紹介、現代の感覚との共通点を指摘していきます。触れる機会が少なく、近寄りがたいと思ってしまいがちな江戸の近世文学を、現代ポップスやカルチャーにもなぞらえているので、世界眼を想像しやすく、気楽に楽しむことができます。『江戸POP道中文字栗毛』から、江戸時代の文芸や文化を垣間見てみませんか?
※本記事は児玉 雨子 著の書籍『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)から一部抜粋・編集しました。
流行語ほんま草生い茂って山
──『金々先生栄花夢』の一部を超現代語訳してみた②
「ありがた山のとんびからす」
これだけではない。
栄華を極める金兵衛(金々先生)は遊郭に通い詰め、ある節分の日に「もう豆まきは古い」と人からそそのかされ、豆の代わりに金銀を振り撒く場面も紹介したい。言わば、近世のお金配りおじさんだ。
(金々先生)「ふくは内、おにはそと。おにはそと。」
(五市) 「これはありがた山のとんびからす。これをもって検校になり山と出かけよう。」
(万八)「これはきびしい。さつまやの源五兵衛ときて居る。とんと梅が枝もどき。ありがありが」
超現代語訳:
(金々先生)「福は内、鬼は外、鬼は外」
(五市) 「えーすごいありがたすぎる。まじで神。このお金で出世するぞ〜」
(万八)「や、えぐいて。源五兵衛みたいで好き。こんなん俺まんま梅が枝やん。はーありがてぇありがてぇ(手を合わせる絵文字)」
このシーンは特に流行語が連発されている。
五市は座頭(頭を剃った視覚障害者で、琵琶や三味線を弾いたり、あんまなどを生業にした人たちのこと)であり、「検校」というのは、江戸時代まで存在した男性視覚障害者の互助組織である当道座における最高の官位だった。
この時代になると官金という上納金を払えばそれになれたとも言われている。
ここでは、座頭の五市は金々先生が撒いているお金を積んで、最高の官位である検校に上りつめようとちゃっかり出世をもくろんでいるのだ。
彼が言う「ありがた山のとんびからす」は先述の「~山」を使った上で、「とんびからす」を語感のために追加。
「江戸川意味がわか乱歩」と同様のノリだろう。現代の若者言葉では「すごく」が「すごい」と形容詞化するので、あえてそう訳してみた。そして先に触れた「~山と出かける」が同じ使い方で再登場。
よほど当時流行っていた表現なのだろう。
そして、幇間(遊郭で客の機嫌を取って場を盛り上げる仕事)の万八が言う「きびしい」は、「たいしたことだ」というようなポジティヴな意味で使用されている。
このようにネガティヴな言葉が文脈によってポジティヴに転化することも若者言葉には多い。
今回は予想を超えているさまを表現する若者言葉「えぐい」を使い、より口語的にしてみた。
源五兵衛はにわか金持ちの意味として使われており、その後に続く梅が枝は浄瑠璃「ひらかな盛衰記」に登場する遊女で、彼女のもとに二階から小判がばらばら落ちてくるシーンがある。
そのようすと自分たちを重ねているのだ。
「ありがありが」と語感を繰り返す表現は、本作では他にも「おそろおそろ」と使われている。
先に触れた、神永さんが指摘した語幹のみの強調表現の発展形だろうか。
文学作品への興味はもっと気楽でいい
塾講師バイトをしていた院生時代のある日、偶然ツイッターで「いとあはれなり」は「まじエモい」と近いのではないか、というツイートを読んだ。
それがとてもおもしろかったので、後日古文の授業でそれを生徒に伝えてみると、生徒が「なんだ、そんな軽くてもいいんだ......」と、どこか安心したように返事をしたのを覚えている。
さすがに学校のテストでそう答えると減点されてしまうが、文学作品への興味や理解というのは、こんなふうにもっと気楽なものでいいんじゃないかな。