5分後。
わたしと愛は、3千円で買ったサビだらけの自転車に二人乗り。耕平の家に向かった。
15分ぐらいで着いた。案の定、耕平は作業をしていた。
家から50メートルほど離れた所にあるビニールハウスの補強をしている。
夏の初めの陽射しが、照りつけている。
耕平は、膝たけのジャージ姿。上半身裸で作業をしていた。陽灼けしたその体は、汗びっしょりだ。
華奢な子だと思っていたけど、腕や胸には意外なほどの筋肉がついている。農作業でついた筋肉だろう。
そんな上半身裸の耕平を見て、愛の頰がふと赤くなる。視線をそらした。
ガキに見える愛も、それなりに年頃なのか......。
「手伝うわよ」とわたしが言った。耕平はちょっと考え、うなずいた。
わたしと愛は、ビニールハウスの補強を手伝いはじめた。
「お父さんは?」とわたし。
「緑内障が相変わらず良くなくてさ、しょっちゅう転ぶんだ。危なくて......」と耕平。
「いま家にいるよ」と手を動かしながら言った。
その表情は、けして明るくない......。わたしたちは、手を動かし続ける......。
「耕平のやつ、偉いんだよ」と愛が話しはじめた。
5時間ほど、ビニールハウスの補強を手伝って、店に戻るところだった。
わたしは自転車を押し、愛は並んで歩いている。
「耕平が、偉い?」とわたし。愛がまた話しはじめた。
北海道の修学旅行。今回のハイライトである、広々とした富良野のラベンダー畑を、全員でわいわいと歩いた。
その翌日は、日高にある農場に行ったという。そこは、低農薬で質のいい野菜を作っている農場だという。
いちおう修学旅行なので、そういう農場にも行ったのだろう。
「ほかの子たちは、木登りしたりして遊んでるんだ」と愛。「でも、耕平だけは農場の人と話し込んでた」
「農場の人と?」
「そう......。そこでは、どんな農薬をどれだけ使ってるかとか、作物の糖度を上げるためにどんな工夫をしてるかとか、いろいろ質問してた」
「へえ、確かに偉いね......」わたしは、つぶやいた。以前、耕平が、
〈大学の農学部にいきたいから〉
と言ったのを思い出していた。真剣に農業に取り組むつもりらしい。
そんな子だから、北海道の農場の人にいろいろ質問をしてたのだろう。
「アイドルやゲームの話ばっかりしてるクラスの子たちが、みんな馬鹿に見えてくる......」
愛がつぶやき、わたしもうなずいた。
そろそろ夕方。陽射しはなくなり、濃いグレーの雲が空を覆いはじめた。
頰に当たる風も、さらに強くなってきていた。台風が接近しているのを肌で感じる......。
「海果、そんな格好じゃダメだよ」と愛が言った。
夜の9時。風雨はさらに強くなってきていた。
わたしたちは、手早く、晩ご飯と片づけを終えた。
二階の部屋。猫のサバティーニと一緒にベッドに入ろうとしていた。
そのとき愛が、〈海果、そんな格好じゃダメだよ〉と言ったのだ。
エアコンは5年前に壊れたまま。暑いので、わたしは薄着だ。
下着のショーツ、そしてダブッと伸びたタンクトップをかぶっているだけだ。夏は、いつもこれで寝ているのだけど......。
「これじゃ、まずいかな......」
「まずいよ。台風で、急いで避難する事になったらどうするの」と愛が口をとがらせた。
「パンツ一枚で、上は胸がのぞいちゃいそうなダブダブのタンクトップだし......。その格好で避難所に行ったら、こっ恥ずかしくない?」と言った。
「そっか......」わたしはついつぶやいた。
確かに。
友達に言わせると、わたしはカピバラのようにボサッとしてる。だから、緊急避難まで考えていなかったのも事実だ。
「......あれは、わたしが小学四年のときでさ」と愛が口を開いた。
その頃、愛の一家は葉山の一軒家に住んでいたという。
「その夏に大きな台風がきて、家が急に浸水しちゃって、大変だったんだ」
「へえ......」
「そのとき、お父さんは下着の縞パンツしか穿いてなくて、それで家の水かきをしてると、近所の子供たちに笑われてさ......」と愛。
「で?」
「親子三人で水かきをして、なんとかなったけどね。そのときのお父さん、カッコ悪かった......」
「そっか......」わたしは、つぶやいた。
そして、ふと思っていた。
そのときは、大変だっただろう。カッコ悪かったかもしれない......。
けれど、それはそれで、ひとつの思い出なのではないのかと......。
いくら大変でも、みっともなくても、そのときの三人は、確かに一つの家族ではなかったのか......。
その翌年、お母さんは悪性リンパ腫を発症して、いまも横須賀の病院に入院している。
お父さんは、IT関係の事業がうまくいかなくなり、いまは連絡がとれなくなっている。
早い話、愛の家族はヒビ割れ、砕けてしまった。
そう思うと、その台風のときが、愛の一家が本当の家族だった最後の夏だったのかもしれない......。たぶん、間違いなく。
それを思うと、鼻の奥がツンとした......。 気をまぎらわせるためにつけているCDラジカセから、ビージーズの〈若葉のころ〉が低く流れていた。
1時間後。台風は、さらに関東に近づいているようだ。風の音がゴーゴーとすごい。
家も少し揺れている。
けど、わたしたちは、ベッドでウトウトしはじめていた。
昼間、耕平のところで手伝いをした。その疲れが出たのかもしれない。わたしは、サバティーニのヒゲを腕に感じながら、寝つこうとしていた。
そのときだった。ドーンという音と振動! 地震のように、思い切り家が揺れた!