湘南の港町にある素朴な魚介レストラン「ツボ屋」。別名「ビンボー食堂」は女性店主・海果が、家族が離散した愛や町の人々の助けを借りて経営している。稼ぎ時の夏、大型台風の到来やライバル店の開店などが重なり大ピンチに...! 守りたい居場所が、ここにある――。『潮風テーブル』(KADOKAWA)は、海果を取り巻く人間模様を描いた心温まる物語。作中に登場する美味しそうな料理の数々とともにお楽しみください。
※本記事は喜多嶋 隆著の書籍『潮風テーブル』(KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました。
1 その夏、三人は家族だった
「やばい......」
わたしはテレビ画面を見てつぶやいた。
すごい台風が湘南に向かっている。
葉山。森戸海岸のそばにある魚介レストラン〈ツボ屋〉。
別名〈ビンボー食堂〉。
わたしは、今朝も4時半に起きた。近くの魚市場に行き、捨てられた魚やイカを拾うために......。
一階の店におりて、何気なくテレビをつけた。すると、アナウンサーが、
〈4日前フィリピン沖で発生した熱帯性低気圧が......〉
〈超大型の台風に発達し、急速に東日本に向かって......〉
と早口でまくしたてている。
〈この夏初めて日本を直撃するこの大型の台風は......〉とアナウンサー。天気図も映った。確かに、大きな台風が北上している。
中心部の気圧は、930ヘクトパスカル。ひどく強力で大きい。
ただ事ではない......。
まずいな......。つぶやいていると、愛が起きてきた。
愛は、きのう7月18日、北海道の修学旅行から帰ってきたところだ。
深夜まで、楽しかった修学旅行の話をしていた。広大なラベンダー畑にどれほど感激したか......興奮した愛の話は終わらなかった。
そのせいか、思い切り大きなアクビをしながら愛は起きてきた。
「どうかした? 海果」
「台風、やばいよ」わたしはテレビを指さした。画面を見た愛も、
「うひゃ!」と声を上げた。葉山育ちの子だから、天気図を見ただけで台風の大きさが、だいたいわかるのだろう。
「今朝は魚拾えないかなあ......」と愛。
「とりあえず、港に行ってみよう」わたしは言った。
そして、愛の髪を両側で二つに結んだ。
愛は、もともと小柄で童顔。髪を二つに結ぶと、いま中学二年だけど、小学六年ぐらいにも見える。そんな愛が一緒だと、魚市場の人たちの表情もなごむのだった。
わたしたちは、拾った魚を入れるポリバケツを持って店を出た。
魚市場は慌しい雰囲気。殺気だっていた。
男の人たちが、緊張した表情で動いている。台風にそなえ、漁船を岸壁にしっかりと舫う、その作業をやっている。
「おう!」と一郎。作業をしながら、わたしたちにふり向き、
「でかいな」と言った。〈台風がでかい〉という事だろう。だけれど、テキパキと動きながらも、その表情は落ち着いていた。いつものように......。
すでに、岸壁には、漁船がぎっしりと舫われている。
いつもの何倍ものロープを使って......。
これを〈増し舫い〉というのは、漁師だったお爺ちゃんに聞いた事がある。
もちろん、魚市場にはイワシ一匹落ちていない。
仕方ない。わたしたちが帰ろうとすると、
「台風、気をつけろ」と一郎。苦笑いして、「お前たちの店、ボロっちいんだから」と言った。
トントンと釘を打つ音......。
わたしと愛は、店の外に板を打ちつけていた。
一番危ないのは、出窓だ。猫のサバティーニがいつも外を見ている出窓。そこに、ありあわせの板を打ちつける。
出窓の中にいるサバティーニは、不思議そうな顔でキョロキョロしている。
そうしている間にも、風が強くなってきていた。台風が接近するとき独特の、むっと暑い風を頰に感じる。
「これで、なんとかなるかなあ......」と愛がつぶやいた。
「どうだろう」とわたし。
いちおう、危なそうな所には板を打ちつけた。けど、すでに傾いているようなボロ家だ。何が起きるかわからない。
「まあ、運を天にまかせるっきゃないよ」わたしは言った。そして、気づいた。
「耕平のところ、大丈夫なの? ビニールハウスとかあるし」
と愛に言った。
「そうだ!」と愛。
いま中二の愛には、ボーイフレンドらしきものができた。同級生の耕平だ。
家は、葉山の山側で農家をやっている。低農薬のトマトなどを、すごく安くうちの店に売ってくれている。
「連絡してみる」と愛。スマートフォンを出し、かけている。しばらくすると、
「出ない」と言った。