その華々しい活躍をリアルタイムで見ていなくても、中森明菜の名前は広い世代に知られているし、曲を聴けば「ああ、あれ」と口ずさめる人も少なくないだろう。
けれど今の30代以下にとって、中森明菜の存在はもはや伝説に近い。
マツコ・デラックス氏などの絶賛を聞きながら「いったい何がそんなにすごかったんだろう」と疑問を抱いている人も多いのではないか(もちろん歌唱力がすごいことは聴けばわかるのだが、それだけでないことは彼女を語る人たちの口ぶりから伝わってくる)。
『中森明菜 消えた歌姫』(西﨑伸彦/文藝春秋)は、そんな彼女の来歴を、本人インタビューの引用を交えながら、多くの関係者に取材してまとめた評伝である。
※本記事はダ・ヴィンチWebの転載記事です
『中森明菜 消えた歌姫』(西﨑伸彦/文藝春秋)
歌が好きだった母親の影響で、言葉も話せない1歳2カ月の頃から、子守歌代わりに自分でメロディーらしきものを口ずさんで寝てしまうような子だった、というエピソードは伝説の歌姫感に拍車をかける。
小学校に入る頃には歌手になると公言していたのに、母親が姉に「スター誕生!」(のちに中森が合格したオーディション番組)への応募をすすめていたのを聞いて、頭にきて誰にも内緒で申し込みはがきを出したというのは本人も語っていることだが、そんなエピソードの数々から浮かび上がってくるのは、中森の「歌いたい」という強い想いだ。
ときに現場でスタッフに食ってかかったり、絶対に歌いたくないと泣いたりしたのも、歌う人としての意識がとにかく高いから、という印象を受ける。
女優の仕事をしていても、納得がいかないととことん追求し、そのせいで撮影が止まることもあった(どころか主演降板に繋がった)のも、仕事への理想が高すぎたからであるような気がする。
近藤真彦氏との熱愛報道からの破局会見や自殺未遂騒動など、スキャンダルの裏側で何が起きていたのかも、本書では客観的に語られる。もちろん彼女には我儘なところもあったし、気性も激しくはあったのだろう。
でも、基本的には一本気で曲げられない性格ということも、本書からは伝わってくる。
だから筋の通らないこと、裏切りと感じられることが、どうしても許せず深い傷として残り続けてしまったのではないか、と。
印象的なのは、「今は男とか、女とか、明確に区別する時代じゃないかもしれないけど」と前置きして語った加藤登紀子氏の言葉である。
〈女は孤立によって際立ち、周りに仲間を作ることなくそそり立つ。巨大な木として育って、根は張っていても孤高にして寂しい。歌姫として上に行くほどに孤独になるけれども、塔ではないから崩れないし、決して消えない。〉
デビュー40周年を迎えた2022年の8月30日、約5年間の沈黙を破って中森明菜はツイッターのアカウントを始動させた。
今なお公の場に姿を現すことはなく、これからどうなるのか、彼女が真に何を思っているかは、わからない。
それでも彼女が崩れることはないし、決して消えもしないのだと、ツイートを見て信じたくなった。
文=立花もも